駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

AIの時代にも

2017年02月06日 | 贔屓

         

 今朝は雨上がりで舗装道路が所々黒く濡れていた。風が強く寒いのだが、芯まで冷える寒さではなく、どこかに春を感じた。

 昨日は正式の床屋に行き、昼は女房と待ち合わせて天麩羅を食べた。正式の床屋に行くと本当に気持ちが良く、毎回来たいなあと思うのだが、どうしても予約を入れて一時間の時間を空けるのが億劫というか難しく三ヶ月に一回になってしまう。間遠なのをおくびにも出さず、四十代?の三代目はいつものですねとやってくれる。この店はG氏に教えて貰った。馴染み客と言ってもまだ七、八年で、六十年以上初代の時から通っているG氏の足元にも及ばない。三代目に引き継ぐ時に建て直したらしく、モダンで塵一つない清潔な店だ。土日だと前日の電話では、一杯だったり希望の時間帯が取れないことが多い。繁華街の外れで通りには四軒ばかり同業者があるが、老舗は頑張っているようだ。

 床屋から繁華街へ歩いて七、八分の天麩羅屋は庶民的だが、手を抜かずすこぶる美味しい。年に数回寄せて貰う。三十年数年前の開店当初から贔屓にしている。若く黒髪が輝いていたご主人もごま塩でちょいと腹が出て貫禄が付いた。むっつりしているがそう見える顔付きなだけで決して愛想が悪いわけではなく、ハイハイと注文を取り、手早くどんどん揚げて行く、注文を聞くと直ぐ何をどう揚げるかが瞬時に頭に浮かぶらしい。嬉しいことに日曜日でもサービスランチがあり、天丼が1600円天麩羅コース定食が1800円だ。いつもは夜来て3500円の梅コースを食べることが多いのだが、昨日は私がランチ天丼、家内がランチコースを頼んだ。多少海老の大きさや種に違いはあるのだろうが、夜の天丼や梅コースと変わらぬ美味しさで堪能した。

 夜は読書のあとパックンのテレビを見て、日曜日らしい日曜日だった。

 AIが人間の仕事を奪うと騒がれているが、人間はそう簡単には変われない。街中の床屋や天麩羅屋がなくなったら、働く元気と意欲が湧かないではないかと言いたい。それに対して、AIに休息は要らないと答えられたら、それこそ人間は行き場がなくなる。

コメント
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