駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

医業の軟着陸は難しい

2017年02月22日 | 身辺記

       

 また少し冷え込んできた。暖かくなったり寒くなったりというという揺らぎは気候だけでなくありあらゆることに付いて回る。

 二三年前から頭の片隅に引退を置きながら働いている。会社勤めではないので年齢で退職が決まるわけではなく、自分で決めなければならない。K先生のように65才で辞めると宣言して準備し辞められた人もいるし、A先生のように辞めたら遊ぶぞと公言しておられたが,75才で辞められて数ヶ月で入院しそのまま亡くなってしまわれた方もいる。

 奥様と旅行三昧のK先生は羨ましいようで、何だか毎日が日曜日もなあと思うし。A先生残念だったろうなあと思いつつ、死ぬまで働くのも悪くないかもしれないとも思う。仕事というのは大変だけれども、仕事ほど全力投球できる趣味や遊びを見つける自信もない。趣味はたくさんあるが、余暇だから楽しめるような気もするからだ。昔から晴耕雨読というが、それが准高齢者の理想の生き方かもしれない。

 午前中二時間ほどで十人の患者を診て暮らせたら、楽しいだろうなと思う。実は十人も患者が来れば、看護婦と事務員一人なら世間の倍の時給を支払っても十分やってゆける。経験と知識があるから、難しい病気が来ても、どこそこの何先生に診て貰えば良いかはたちどころに分かる。患者さん達の持っている情報は不確かで不十分なものが多いので、半径十数キロではどの先生が一番合っているかを教えて紹介状を書いてやれれば老医としては十分役に立てる。安定した病気の患者とは世間話をしていればいい。

 しかし現実には、医者は客商売だから来る人を拒むことが出来ず仕事を減らすことができない。絶対に無理というわけではないだろうが、掛かりつけ利用の患者さんが何千人も居るので、選んだり制限したりすれば不満が出るだろうし、変更するには役所手続きも煩雑だし職員を解雇しなければならず、物凄いエネルギーが入りそうで却ってそれで体調を崩しそうだ。

 どうしたものかねと考え辺りを見回しながら働いている。

コメント (2)
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