古伊知郎氏が報道ステーションを降りるという。十二年やったと読んで驚いた。七、八年の感覚がしていたからだ。ちょっと長すぎたのではないか、鉄面皮ではなく、垣間見た印象ではすり切れ疲れが見えていた。
ちょうど久米さんから古氏に交代した頃から、地上波を観なくなっている。未だに古と言えばプロレスの異常な早口の中継という二十年ずれた印象を持っている。こんなことを申し上げては失礼かも知れないが、結局、時事ニュースには合わなかったのではと思う。
個人的には古さんに変わった頃から所謂地上波キャスターの香りが失われていったと感じている。老兵の懐古趣味と言われればそれまでかも知れないが、文化教養の香りが薄らいだ。久米宏のどこに文化教養の香りがという反論もあるだろうが、宮沢首相が、にっこり久米さんと話しかけたのを憶えている。そうした時代だったのかも知れないが、相手を認める余裕と寛容が失われてきたと思う。
とにかく悪く言ってやろうなどという批判は一顧だに値しないが、きちんとした批評批判には理由があるわけで、悪口に受け取って反発力で元気が出るというのは、底が浅い感覚だろう。
物事には潮時というものがある。ちょいと脱線するが、幹事長や官房長官は羽織を脱ぐ時が来ている、古氏の後を追われるのがよいのではと申し上げたい。