駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

修理して使うということ

2015年12月06日 | 身辺記

               

 

 靴を修理したら五千円だった。高々二万何某の靴の修理に五千円、これが高いか安いか意見は別れるだろう。自分としてはこれであと一年履ければ、安くはないがさほど高くないと思う。何よりも履き心地がよく気に入っている靴なので、修理が効くならまだまだ履きたい。

 今や電化製品は故障すると買い換える時代になった。この二十年くらいは性能が良くなったのに、値段は殆ど変わらない、場合により安くなったような製品が多いのと、十年選手だと修理の部品がもうないとか言われたり、修理代が新品の半額近くしたりすることもあるのが、買い換えになってしまう理由だ。

 其処へゆくと靴は履いてくでもハイテクではなくローテクなので、工具と腕で修理が可能だ。今は優れた接着剤があるからさほどの技術も要らないようで、小一時間で直してくれた。

 靴にも多少流行があるようだが、先の丸い変凡オーソドックスな形が好きで、そうした物ばっかりを履いてきた。それと気に入るとそればっかり履くので、早く傷むと女房に叱られる。たぶん、もうこの習性は終生治らないだろう。

コメント
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