ウイーンに行くとクリムトの名画「黄金のアデーレ」を鑑賞することが出来た。オーストリアのモナリザと言うべきこの名画を私に返してくれと、アデーレの姪御さんがオーストリア政府を訴えた顛末を描いた映画を観た。ナチスに奪われた名画の正当な所有権は法的には、ナチスを逃れ、今はロスに住む姪御のマリアアルトマンにあるはずだからだ。
そんなことが出来るはずがないと普通の日本人は考えるだろう。ところがこれは事実を映画化したものなのだ。
気が付けばその通りなのだが、アメリカというのは移民で成立した国で、第二次世界大戦では多くのユダヤ人がナチスの手を逃れ、アメリカに移住している。孫や曾孫には遠いけれどもヨーロッパはもう一つの祖国と言うべき存在のようだ。
ナチスが何をしたか、又その暴挙を多くの市民が支持許容したという歴史的事実が映画から伝わってくる。そのことをオーストリア国民は憶えているようだ。アメリカの法を法として尊重する姿勢とナチの記憶が驚くべき結末に結びついてゆく。
そうした経緯は勿論興味深く描かれているのだが、私には娘をアメリカに逃し自分達はウイーンに留まらねばならなかったマリアの両親とマリアの別れのシーンが一番印象に残った。画面が滲んでしまった。どうして人間はこうした酷いことをしてしまうのだろうか。ナチまでは行かなくとも、それに連なる思想と言うより思考は今もある。平和は51対49で辛くも保たれているのを決して忘れてはならないと思った。
写真はネットから拝借