ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

不治の病

2011年05月09日 | ノンジャンル
アルコール依存症は、今のところ不治の病とされている。
糖尿病もしかりである。

どちらも、ある条件を満たして、その不治の病との
共存が可能となる。

前者は断酒、後者はカロリー管理である。

無論、「全く飲まない」と、
「食事の内容、量を管理制限する」という条件は異なるが、
いずれも、生き永らえたいのなら必要不可欠な条件である。

何が言いたいかといえば、断酒何年というのも、
カロリー制限の生活を何年というのも変わらない
ということである。

自慢することでもなく、誇ることでもない。

不治の病といえば、余命何年というイメージが付きまとうが、
糖尿病をそのイメージにはあまり結び付けられない。

不治の病とは、手の打ちようがない病気を指し、従って、
余命が大体決まってしまうイメージなのである。

その不治の病を、奇跡的に克服したとなれば、
ドラマにもなるが、打てる手が残されていて、
その手を打てば生き永らえられる病気なら、
たとえ完治はなくとも、ドラマにはならない。

かろうじて、やめられなかったお酒をやめるに至った
経緯に、ドラマがあるのみである。

打つ手があり、その手を打てば生き永らえることが
できるなら、世間はそれを不治の病とは思わない。
そこには、本人の生きるか死ぬかの選択の余地が
あるからである。

世間が思う不治の病とは、どれほど望んでも、
生き永らえる選択肢がない病気を言う。

我々は、生きるか死ぬかの選択ができる以上、
普通の人と何も変わらないのである。

つまり、いずれの選択をしようと、人の嘲りを受ける
ことはあっても、称賛などを受けるようなことではない。

それは、その人の生き様という、全く別の話なのである。