ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

熱狂

2006年11月14日 | ノンジャンル
群衆の興奮状態、熱狂というものは、非常に苦手である。
ひとつの大きな流れに対し、とどまる事も逆らう事もままならず、
身も心も飲み込まれるという状態は、自身にとっては、
不本意極まりない。
人ごみの中で押しつ、押されつして、あらぬ方向へ行くような
もので、自分の意志と足で動けないという事が、非常に
もどかしく感じる。

ある意味、飲み込まれてしまって、その大きな流れに身を任せて
いれば、楽な面もあるだろうが、自分の所在も意識さえも希薄と
なる状況は耐えられない。

悪く言えば、協調意識が薄い、自己顕示欲が強いとも言えそうだが、
そういう面も含めて、群衆心理に飲み込まれることを良しとしない。

ひとつこの点が幸いしたのは、幻覚を幻覚と認識し、飲み込まれる
ことが無かったという事である。飲み込まれていたなら、今、
この世に自分はいない事になっていたかもしれない。

素直な人であれば、幻覚に迷わされ、飲み込まれて、なにがしかの
事故や事件を起こしていたであろう。群集心理についても、ある面、
一時的な意識思考の空洞化と考えている。

つまりは、あまのじゃくな性格が、その時は良い方向に作用した
局面であったと思われる。