群衆の興奮状態、熱狂というものは、非常に苦手である。
ひとつの大きな流れに対し、とどまる事も逆らう事もままならず、
身も心も飲み込まれるという状態は、自身にとっては、
不本意極まりない。
人ごみの中で押しつ、押されつして、あらぬ方向へ行くような
もので、自分の意志と足で動けないという事が、非常に
もどかしく感じる。
ある意味、飲み込まれてしまって、その大きな流れに身を任せて
いれば、楽な面もあるだろうが、自分の所在も意識さえも希薄と
なる状況は耐えられない。
悪く言えば、協調意識が薄い、自己顕示欲が強いとも言えそうだが、
そういう面も含めて、群衆心理に飲み込まれることを良しとしない。
ひとつこの点が幸いしたのは、幻覚を幻覚と認識し、飲み込まれる
ことが無かったという事である。飲み込まれていたなら、今、
この世に自分はいない事になっていたかもしれない。
素直な人であれば、幻覚に迷わされ、飲み込まれて、なにがしかの
事故や事件を起こしていたであろう。群集心理についても、ある面、
一時的な意識思考の空洞化と考えている。
つまりは、あまのじゃくな性格が、その時は良い方向に作用した
局面であったと思われる。
ひとつの大きな流れに対し、とどまる事も逆らう事もままならず、
身も心も飲み込まれるという状態は、自身にとっては、
不本意極まりない。
人ごみの中で押しつ、押されつして、あらぬ方向へ行くような
もので、自分の意志と足で動けないという事が、非常に
もどかしく感じる。
ある意味、飲み込まれてしまって、その大きな流れに身を任せて
いれば、楽な面もあるだろうが、自分の所在も意識さえも希薄と
なる状況は耐えられない。
悪く言えば、協調意識が薄い、自己顕示欲が強いとも言えそうだが、
そういう面も含めて、群衆心理に飲み込まれることを良しとしない。
ひとつこの点が幸いしたのは、幻覚を幻覚と認識し、飲み込まれる
ことが無かったという事である。飲み込まれていたなら、今、
この世に自分はいない事になっていたかもしれない。
素直な人であれば、幻覚に迷わされ、飲み込まれて、なにがしかの
事故や事件を起こしていたであろう。群集心理についても、ある面、
一時的な意識思考の空洞化と考えている。
つまりは、あまのじゃくな性格が、その時は良い方向に作用した
局面であったと思われる。