ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

オーバーフロー

2006年11月18日 | ノンジャンル
昨年は、暑い、寒いという事を、身体の芯では感じていなかった
ように思える。
アルコールが抜けて1年以上の月日が経って、徐々に感覚が
肉体的に芯から隅々まで行き渡るようになって、ようやく
自分の身体の日々の状態がわかるようになってきた。

精神的には、五感が研ぎ澄まされてきたようで、今までは何とも
思わない事や、感じなかったことに、敏感となっている。

些細な事でも、目に付く、耳に付く、鼻に付く、感づくと
いったことばかりでなく、現在の状況から、先が見通せる
という事まで含めて、神経が鋭敏化しているように思える。

つまり、インプットされる情報量がこれまでとは雲泥の差で
膨大なものとなり、処理能力を超える分は、どんどん
蓄積されていく。昔なら、飲む事で、流してしまえる事が
今では、そうは出来ない。が、考えれば、飲んでいたから、
インプットされる情報量も限られていたともいえる。

インプット量は格段に増えているものの、処理能力も向上
している中、問題はオーバーフロー分にどう対処するかである。
放っておけば、知らぬ間に蓄積されて、どんな反作用を引き起こす
かも知れない。その辺をコントロールするには、思考だけでは
自ずから限界がある。思考それ自体が、更にオーバーフローを
上乗せさせる事にも繋がるからだ。

単純かつハードな肉体の動きが、コントロールの鍵となる事も
見えて来ている。そういえば、最近運動不足でもあった。
子供と一緒に、泳ぎに行くも良し、公園で野球をするも良し、
とにかく、息を切らせて、汗をかく事をするつもりである。