ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

いびつな器

2006年11月07日 | ノンジャンル
いわゆる、頭のネットワークが過敏に反応して、
なんでもかんでもアンテナに引っ掛るのに、それに対応する
処理能力が追いつかないという、嫌な波がやってきている。

出来るだけ、具体的に且つ迅速に行動に移すものの、
そうできないものも多くて、その分鬱積状態となり、
非常に息苦しい気分に悩まされている。

多少のいい加減さで、バランスを取ろうともするが、
その事さえもわかりすぎていて、気が紛れない。

体調にまでその影響が出始めてきたようで、風邪を
ひいたかのように、なんとなく熱っぽく、気だるい。
食欲も減退気味で、不安な気分と嫌気とが混在しながら充満し、
ピーク時には、何もかもがどうでもよくなってしまう。

こういう時には、じたばたしないで、しばらく時の流れに
身を任せる事にしている。
歌の文句にもあったような。。。。

ひとつの波に翻弄されている時に、逆らってじたばたした
ところで、大して進展も変化も無いので、ここはひとつ、
なすがままに身も心もあずけてしまう事にしている。

そんな中で、一部分だけ冷静に動向を見つめる目だけを
持っておいて、波が静まる頃を見計らって、立ち直りへと
進路を変ずる。

「わからない」ということは、開き直ると楽なものだが、
「わかる」ということは、新たな苦しみをもたらす。
時に、わかりすぎて、苦しみがピークに達する事も
あるのだろう。

とすれば、人生は、苦しむ事に意味があるのかもしれない。
その苦しさに飲み込まれてしまうのか、楽しむ事さえ
出来るのかは、その人の器の問題となるであろう。
どうやら、まだまだ、器が小さいようである。

まして、この病気に罹ってからは、器の形が定まらない。
ただ、定まらないなりに、少しずつでも大きくして
いきたいものである。