カーッと暑い日、仕事のあと、風呂上りに、冷えたビールを
ジョッキでググッといくときのあの爽快感、疲れも吹っ飛ぶ
ような快感を忘れたわけではない。
この頃は、確かに薬で、活力源で、今でいえば点滴のような
ものである。
じっとしていても汗が滲むような暑い夜、銭湯へ行った。
熱い湯につかり、冷水を浴びてまた湯につかる。
何度も繰り返してすっきりした後、湯上りに冷えた
ラムネを飲む。
渇いた喉にゴクゴクと流し込むと、あの感覚がよみがえる。
クーッ! うまいんだなこれが&%#$*@!!と
思わず声が出る。
同時に、子供の頃の懐かしい夏の感覚もよみがえる。
ラムネで十分幸せである。
いつしか憂さ晴らしのお酒に変わっていった。
やり場のない憤懣を溶かすように飲んだ。実際は少しも
溶けることはなく、自分の感覚が鈍くなるだけだった。
道を進むのが苦しくなるほどの足の痛みを、お酒という
鎮痛剤で紛らわせて歩いていたのだろう。
いくら痛み止めを打ったところで、足が治る訳ではない。
一本では効かなくなり、二本、三本と増え続け、気がつけば
痛み止めなしでは一歩も歩けない状態であった。
そして、やがて足は動かなくなり、歩みを止めてしまう
ことになる。
今は苦しいながら、痛みを感じながらも、一歩一歩
足を進めている。
痛み止めはもう打つ気はない。
楽なのは一瞬で、自分の足がどうなっているのかもわからず、
大地を踏みしめる感覚も無くなり、やがて足を害して進めなく
なることを知っているから。
痛いながらも、その痛みをしっかりと感じて、痛みと
相談しながら歩み続けていく。
時には軽快に、時には重く、時には引きずるようにして、
それでも、その一歩一歩は、確かに私の意識のもとでの
歩みなのである。
後ろから押されるのでもなく、前から引っ張られるのでもなく、
自らが刻んでいく確かな軌跡なのである。
ジョッキでググッといくときのあの爽快感、疲れも吹っ飛ぶ
ような快感を忘れたわけではない。
この頃は、確かに薬で、活力源で、今でいえば点滴のような
ものである。
じっとしていても汗が滲むような暑い夜、銭湯へ行った。
熱い湯につかり、冷水を浴びてまた湯につかる。
何度も繰り返してすっきりした後、湯上りに冷えた
ラムネを飲む。
渇いた喉にゴクゴクと流し込むと、あの感覚がよみがえる。
クーッ! うまいんだなこれが&%#$*@!!と
思わず声が出る。
同時に、子供の頃の懐かしい夏の感覚もよみがえる。
ラムネで十分幸せである。
いつしか憂さ晴らしのお酒に変わっていった。
やり場のない憤懣を溶かすように飲んだ。実際は少しも
溶けることはなく、自分の感覚が鈍くなるだけだった。
道を進むのが苦しくなるほどの足の痛みを、お酒という
鎮痛剤で紛らわせて歩いていたのだろう。
いくら痛み止めを打ったところで、足が治る訳ではない。
一本では効かなくなり、二本、三本と増え続け、気がつけば
痛み止めなしでは一歩も歩けない状態であった。
そして、やがて足は動かなくなり、歩みを止めてしまう
ことになる。
今は苦しいながら、痛みを感じながらも、一歩一歩
足を進めている。
痛み止めはもう打つ気はない。
楽なのは一瞬で、自分の足がどうなっているのかもわからず、
大地を踏みしめる感覚も無くなり、やがて足を害して進めなく
なることを知っているから。
痛いながらも、その痛みをしっかりと感じて、痛みと
相談しながら歩み続けていく。
時には軽快に、時には重く、時には引きずるようにして、
それでも、その一歩一歩は、確かに私の意識のもとでの
歩みなのである。
後ろから押されるのでもなく、前から引っ張られるのでもなく、
自らが刻んでいく確かな軌跡なのである。
あるのがあたりまえです。
それを見据えながら向き合って、一つ一つ
乗り越えていくしかありません。
少なくとも痛みや苦しみを感じることが出来る以上、
その程度に応じて対処していくことも出来ます。
不安は常に過去の行為と、先行きを案ずることです。
今をしっかり生きる。それでいいのだと思っています。
というか、もう打っても効かないのかも。
だけれど「痛くて痛くて」仕方ない時がありますよね。
その時に「その痛さに負けない自分」でいられるのか、どうか。
僕はまだまだ大丈夫でない時を感じて、
おっかなびっくりです。
この痛みはいつまで続くのか、
この苦しみはどこまで続くのか、
考えると頭まで痛くなってきます。(苦笑)
リタイアは考えませんが、気が変になりそうです。
こんな事を考えられるようになった分、
余計に苦しいとも考えられるのですけれどね。
変なコメですみません。