ALQUIT DAYS

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絶対と相対

2017年10月14日 | ノンジャンル
絶対ゼロからの増分が絶対値、任意の基準からの
増分が相対値である。

自分より上もいれば、下もいるというのは、
自身を基準とした比較相対である。

基準自体が変遷し、あるいは任意で変えられたなら
上も下になり、下も上になる。

座標なり、数値的な評価ならともかく、
変遷し続ける自身や他者の評価を、比較相対で
測ることはできないし、意味もない。

しかしながら、とかくその意味のない比較相対で
人を評価してきたのが、この社会である。
そしてその根本は、やはり人なのである。

この世に生れ出たことを、絶対ゼロとした時、
私たちは、時間軸で自身の現在の位置を知り、
増分、つまり人としての自身の成長の度合いを
見出すことになる。

相対というのは、自身の生き方の原点を基準として、
そこから前へ進んでいるか、停滞、あるいは
後退しているかを判断・評価することである。

原点に還るとは、自身の現在に原点を置きなおして、
つまり基準を置きなおして、プラスへ一歩を新たに
踏み出していくということである。

離陸した飛行機は、必ず着陸せねばならない。
限られた燃料で、どう飛ぶかは、自分次第である。

他の飛行機が、高いところを飛んでいる、
低いところを飛んでいる、高速で飛んでいる、
低速で飛んでいるなどということは、
どうでもよいことなのである。





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2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (はる)
2017-10-14 20:30:22
すべてを肯定すれば「真理」は向こう側からやってくる。
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Unknown (jetlinks)
2017-10-15 00:04:09
否定し尽くして、肯定にたどりついた時、
確かにそこに気づきがありますね。
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