プライドとは誇りであって傲慢ではない。
若い頃はそれを取り違えていた。
大手企業の傲慢さに憤慨しながらも、会社ではなく
業界に生きる心構えがあった。
ところが、次々と新たな事業を展開していく中で、
いつしか小さな会社の中で、小さなプライドに
固執していった。
業績が伸び悩み、その小さなプライドが崩れていき、
やがては、アルコールに逃げ、全てを失いかけた。
復帰後も低迷は続き、耐え難い屈辱を味わった
こともあった。
そんな自分を支えたのは、家内と子供達であった。
自らの生き方というプライドを取り戻すために
死に物狂いであった。
長年に渡り、蓄積されてきたもの全てが背骨となって、
業績トップの座を揺るぎないものにしてこれた。
今、その中で自問自答している。
私が本当に望んでいたのは、小さな会社の中で
賞賛を得ることだったのか。
取り戻したかったのは、そんな小さなプライド
だったのかと。
答えは否である。私が取り戻しつつあるのは、
一期一会の誠意と感謝というプライドなのである。
そこには、謙虚と、感謝と、勇気と挑戦がある。
そして、驕り高ぶりは、微塵もないのである。
つまり、できることを精一杯という
プライドなのである。
若い頃はそれを取り違えていた。
大手企業の傲慢さに憤慨しながらも、会社ではなく
業界に生きる心構えがあった。
ところが、次々と新たな事業を展開していく中で、
いつしか小さな会社の中で、小さなプライドに
固執していった。
業績が伸び悩み、その小さなプライドが崩れていき、
やがては、アルコールに逃げ、全てを失いかけた。
復帰後も低迷は続き、耐え難い屈辱を味わった
こともあった。
そんな自分を支えたのは、家内と子供達であった。
自らの生き方というプライドを取り戻すために
死に物狂いであった。
長年に渡り、蓄積されてきたもの全てが背骨となって、
業績トップの座を揺るぎないものにしてこれた。
今、その中で自問自答している。
私が本当に望んでいたのは、小さな会社の中で
賞賛を得ることだったのか。
取り戻したかったのは、そんな小さなプライド
だったのかと。
答えは否である。私が取り戻しつつあるのは、
一期一会の誠意と感謝というプライドなのである。
そこには、謙虚と、感謝と、勇気と挑戦がある。
そして、驕り高ぶりは、微塵もないのである。
つまり、できることを精一杯という
プライドなのである。
謙虚、感謝、勇気、挑戦。。。言うは易し行うは難しですが...。そう有りたいものです。
若いときは謙虚、謙遜と言う言葉が綺麗事にも聞こえ苦手だったようにも思います。
齢を重ねる度に自然と身についてきたようにも感じますが。。
言葉の一つ一つに誠実さが有りすっーと心に入って来ます。
ワタシはこれからです。まだまだイロイロと学んで行きたいですね。
眞の優しさとかを。そして、謙虚、謙遜を。
一彩庵。真希。
病んで健常の驕りを知り、
老いて若さの驕りを知るという事でしょうね。
私もまだまだ、これからです。^^
そういうことなのでしょうね。 ^^
小さい企業のスペシャリストか
いえいえ、今やそんなことは関係ございません。
プロ意識とジェネラリスト的スペシャリスト。
体感あるのみ。お疲れ様でございます。
つまり誠意だと思って、日々奮闘中です。^^
技術も経験も削ぎ落され、最後に輝きを放つのは誠意…本当にそう思います
ますますのご活躍を。
誠意は、未来を生きる若者の心に
刻まれていくと思います。