ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

流転

2012年04月23日 | ノンジャンル
昨年から今年にかけて、私の一本柱ともいうべき通院が
ままならない。

何がどうあろうと、週に一度の通院は欠かさずに
いたのだが、出張などが重なり、時に数ヶ月も
通院できないこともあった。

もしかして・・・と、心配して下さっていた
看護師さんもいるが、自助グループに所属せず、
抗酒剤も常用していない私にとっての通院は、
唯一の断酒継続の支えであり、それをわかって
下さっている方から見れば無理もない。

通院先のクリニックは、院長先生が逝去された後、
ご子息が院長として後を継ぐことになったのだが、
その後いろいろあって、退かれたようだ。

新たな院長となってからようやく通院できたので、
そのあたりの経緯については知らない。

ところが、今度はその新たな院長がクリニックを退き、
ご自身で開業なさるという。
この2月3月は、クリニックにおいてはなにがどうなるやら
大騒動であったようだが、私はまるで何も知らなかった。

4月より新しい院長も決まり、各患者さんの主治医、
担当ワーカーも順次更新されていっているようだが、
開業された先生の方への転院勧誘などもあるようで、
待合にいても何となく落ち着かない雰囲気がある。

勧誘されるまま、そちらに移るという人もいれば、
元々の主治医や、あるいはワーカーさんに説明を求める
人も多く、何となく騒然というか、雑然としている。

たかがこの一年少しでこうもめまぐるしい変化が
起こるとは、私も想像だにしていなかった。

ただ、クリニック自体が閉院するとか、無くなるとか
いうことでない以上、別段、私自身に動揺はない。
仮に無くなるとしても、多分、何が変わるということも
無いような気がしている。

折々に、その都度必要な時に診察は受けるが、
私の主治医は亡くなられた院長先生以外にはいない。
担当ワーカーも、初めから共に歩んできた方
以外にはいない。

いつも帰りには、クリニックを出てから、診察室に向かって
一礼をして帰る。
駅からクリニックへ。 クリニックから駅へ。
この道を歩く。クリニックのある場所に向かう。

たとえクリニックがなくなったとしても、その場所へ
向かって、その道を歩けば、私の柱は倒れることはない。

大恩ある院長先生がもうこの世にいらっしゃらない以上、
失敗してお許しを乞うことはできない。
そして、亡くなった人を裏切ることもできない。

仮に辛い時や、苦しい時があろうと、私は心の中で
先生の診察を受けることになる。
あの穏やかな笑顔を思い出すたびに、生きられるだけ
頑張ってみようという気にさせられるのである。



最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (レナ)
2012-04-24 00:42:22
まさに、流転 そのままの感じですね…

穏やかに、ゆるやかに、引き継がれていらっしゃるとばかり 思っていらした jetさんも、胸中 複雑なことと 存じ上げます。

クリニックの方も、早く 落ち着くと よろしいですね。

※ 今日は iPhoneからの投稿のため、文章が 文字バケしていたら、ごめんなさい。

m(_ _)m
返信する
Unknown (jetlinks)
2012-04-24 13:24:42
まあ、患者側を見れば常に波乱万丈で、千変万化していますので、
医療側の変転など、どうということはないんですけどね。 ^^
返信する

post a comment