ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

無冠

2014年02月21日 | ノンジャンル
前回、世法のことに少し触れた。

五輪も終盤だが、メダルを獲得したにせよ、
逃したにせよ、そんなことはひと月もすれば
世間の口にも上らないことになる。

その道を極めようとしてきたものが、五輪という
大きな舞台で、本人にしかわからないものを背負って、
奮闘していること、それ自体が素晴らしい。

勝たねば意味がないという人がいる。それも真だろう。
そういう人は、自身が勝てばよい。

無論、本人にとっても栄誉であるには違いないが、
国の誉れとしての意味でメダルメダルと騒いでいる。

メダルを取って、その本人が幸せになるのなら話は別である。

幼い頃から、スケート一筋に歩んできた選手がいる。
メダルは当然という重圧を背負い、最後になるかもしれない
大舞台という想いもあっただろう。

それが高転びにこけてしまった。
日本中がため息に包まれたといってよいその結果は、
本人をして、「取り返しのつかないこと」と言わしめた。

まだ若い身で、それは耐えられないほどの悔しさであったに
違いないが、ある意味、放心状態であったかもしれない。

その局面に自分が立たされたなら、逃げ出すか、
消えてしまいたいと思うだろう。
あるいは、開き直ってどうにでもなれとヤケクソに
なるかもしれない。

だが彼女は、最後の最後に自分の原点を取り戻した。
「スケートが大好き」「跳ぶのが楽しい」

誰もがもう諦めていたその最後の舞台で、彼女は
最高の舞を見せてくれた。
それは彼女自身も、そして周りの皆をも感動に包み、
幸せにしてくれる、渾身の舞であった。

まぎれもなく彼女は勝利した。
まさに無冠の女王となった。
これからの長い人生において、この勝利ほど彼女を
支え続けるものはないと思う。

そして、この舞を見た者にとっては、これまで幾度となく
見せてもらった彼女自身の勝利と共に、自分が生きていく
支えの一つとなったであろう。

無冠の女王たる彼女に、最高の敬意と、拍手喝采と、
感謝の思いを贈りたいと思うのである。





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