yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

デカンショ

2017-10-14 05:34:04 | 文学
昔、高等学校生の間で「デカンショ節」というのが歌われたそうです。「デカンショ、デカンショで半年暮らすヨイヨイ、あとの半年、寝て暮らすヨイヨイ」。デカンショはデカルト・カント・ショウペンハウエルの略で、高校生は難しい哲学に悩みました。数学も難しく、「微分は微かに分かり、積分は分かった積もり」などとも言われたとのこと。

さて、黒崎教授は「哲学について」次のように述べています。
哲学の課題の一つに「木が緑に見えるのは、木が緑だからだ」というのは本当でしょうか。
<えっと?そんな当たり前のことまで疑ってみるわけ?>という声が聞こえてきそうですが、そうです。こんなことまで疑って考えてみるわけです。しかも、ちょっとじっくり考えてみるだけで、いま挙げた常識のような考えは、大きく誤っていることがわかります。さらにそれだけではなく、この問いは哲学の最深淵とも言われるカント「純粋理性批判」の、もっとも根本的な問いに直結するものですらあるのです。
さて、「本当にある」とはどういうことか、に対する哲学的考察はこんなところから始まると言っていいでしょう。リアルだと考えていた世界。世界が緑だから、世界は緑に見える。このような実在観は、通常、哲学の世界では、素朴実在論と呼ばれています。しかし、見る側の条件によって世界のあり方そのものが変化するのだとしたら、世界は、本当に、私たちに先立ってリアルに存在しているのでしょうか。木が緑に見えるのは、我々の<都合で>そう見ているから、です。世界のものが、何色をしているのかはわからない。そもそも<色>という形で世界をとらえること自体、我々人間の都合に他ならないかもしれないのです。ほら、このように考えてくると、最初に挙げた常識「木が緑に見えるのは、木が緑だからだ」は本当ではない、ということがわかったでしょう。このように当たり前だと思っていることを、「そもそも」と根本から考えてみることが哲学なのです。

   黒崎政男 「カント哲学入門」東京女子大学 同窓会会報 第64号 2017.3

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