yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

早春賦  吉丸一昌

2021-12-06 06:39:15 | 文学
名歌「早春賦」は、吉丸一昌が作詞しました。中田章作曲です。
この曲は、長野県安曇野の早春をうたっています。

一、春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず
二、氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空

三、春と聞かねば 知らでありしを
聞けばせかるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か 
 

吉丸一昌は豊後国、臼杵藩下級武士・吉丸角内の長男として生まれました。小学校高等科卒業までの成績は非常に優秀で、県から度々表彰を受けるほどでした。1889年大分中学に入学、1854年卒業。
その後第五高等学校に進学しました。教授に夏目漱石、湯原元一、小泉八雲などがおり、当時剣道に熱中しました。1898年、第五高等学校を卒業した吉丸は東京帝国大学国文科に進学。下宿先で「修養塾」という私塾を開き、その後生涯に渡り、地方からの苦学生と生活を共にして衣食住から勉学、就職に至るまでを世話しました。1902年、帝国大学を卒業し、東京府立第4中学校へ教師として赴任。当時の教え子の中には芥川龍之介もいました。また、この時、私財を投じて下谷中等夜学校を創立しました。そして1908年、東京音楽学校の校長に就任した恩師湯原元一は、吉丸を同校の倫理、歌文、国語の教授に抜擢ましした。吉丸はまた、同校の生徒監に任命されました。
1911年から1914年にかけて発行された、『尋常小学唱歌』編纂委員会の歌詞担任委員主任になって以降、本格的に作詞家としての仕事に取り組みました。『尋常小学唱歌』の歌詞編纂に際し、その多くを作詞したという伝聞のある高野辰之よりは、責任の高い位置にありまた。尋常小学唱歌の題名原案を作成したのは吉丸である。後に臼杵音楽連盟会長の吉田稔が吉丸についての研究を行い、『望郷の歌 吉丸一昌』(臼杵音楽連盟刊)を出版しました。その後も、尋常小学唱歌の中の「桃太郎」(作曲 岡野貞一)、「日の丸」、「池の鯉」、「かたつむり」などが吉丸の作詞であることを論証しました。ただし、これらの作詞者については異説もあります。
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