yoshのブログ

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「荒城の月」のモデル(再掲)

2021-03-27 06:39:15 | 文学
日本を代表する歌の一つ「荒城の月」は、明治34年(1901)に土井晩翠(1871~1952)作詩、瀧廉太郎(1879~1903)作曲により完成しました。この歌詞のモデルとなった城はどこか、多くの説があります。中でも次の5説が有力です。
1.岡城 大分県竹田市、瀧廉太郎の故郷
 2.富山城 富山県富山市、瀧廉太郎が少年期を過ごした地
 3.青葉城 宮城県仙台市、土井晩翠の故郷
 4.七尾城 石川県七尾市、上杉謙信がこの場所で、漢詩「九月十三夜」を賦しました
 5.鶴ヶ城 福島県会津若松市 土井晩翠が感銘を受けたという城です。

 「白虎隊記念館」を創立した早川喜代次(若松市)が旧知の土井晩翠夫妻を会津に招待したことがありました。(1946)戦後の荒廃とした雰囲気の残る中、何か明るい話題で暗いム-ドを一新しようと考え、晩翠夫妻を迎えて「荒城の月48周年記念音楽祭」を開催したのです。11月3日に参加者、数千名が「荒城の月」を大合唱した後、土井晩翠が次のようにスピ-チをしました。
 「今、皆さんが歌ってくださった荒城の月の基は、皆様方の鶴ヶ城です。」
 晩翠が東京音楽学校の依頼を受けて「荒城の月」を作詩したのは明治31年(1898)、28歳の時。真っ先に思い浮かべたのが、数年前に、二高の修学旅行
で会津を訪れた際に間近に目にした鶴ヶ城の美しくも悲しい荒城の姿だったのだと、語りました。もちろん、故郷の青葉城をはじめ、今まで訪れた事のある城も思い浮かべはしましたが、心を最も動かしたのは、たった一度きりの鶴ヶ城の鮮烈な印象だったのです。

栄枯盛衰の城を語る時、鶴ヶ城は、それにふさわしいと不肖も思います。

 ちなみに、岩波書店によれば、土井晩翠のふりがなは、「つちい ばんすゐ」です。




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