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名人

2021-03-06 05:45:31 | 将棋
平成六年出版、米長邦雄著の「人生一手の違い」の中に、元名人、谷川浩司氏の話があります。

昭和58年6月、史上最年少の名人が誕生した。弱冠21歳の谷川浩司八段が加藤一二三名人に七番勝負を挑み、四勝二敗で見事、第41期名人位を獲得したのである。将棋界には大きなタイトルが七つあるが、名人位には他のタイトルとは別格の、特別な意味がある。この名人位を争う棋戦によって、120人いるプロ棋士の序列が決まるのだ。だからこの棋戦を順位戦と呼ぶ。名人位はこの頂点で、将棋界の最高峰、企業にたとえれば社長に当たる。名人位が他のタイトルよりも格上とされるのは、この順位戦の上に位置しているからである。つまり、高校を卒業してほどない少年が、彗星のごとく現われ、アレヨアレヨという間に二十一歳でいきなり社長の座に就いてしまったということだ。一般企業では考えられない。オ-ナ-の息子ならしようがない。しかし、新入社員がいきなり社長である。まわりの者は怒るやらあっけにとられるやら、、、。将棋界は、文字どおり実力の世界である。強ければ勝つ、勝ったものが強い。勝ちさえすれば、年齢に関係なく昇進できる。優勝劣敗、それだけが勝負の世界の尺度である。
私にも社長の座に就くチャンスは幾度となくあった。しかし、度重なるチャンスをことごとく逃して現在に至っている。A級に15年、三つのタイトルを持つ私と、二十一歳の谷川浩司との間に明らかに実力の差があるなら、それも仕方がない。そうであれば私も納得できる。
谷川新名人誕生の直後、私は、自分と谷川浩司とどちらが強いのか、両者の将棋を三百局ずつ並べてみることにした。計600局を二週間かけて並べて得たのは「自分のほうが手厚い」という結論であった。実力は五分としても、私のほうが厚み(経験の差と言うべきか)においても若干優るのではないか、というのが正直な感想だったのである。
しかし、「ならば、なぜ?」と私は、考えざるを得なかった。私は、棋士の強さは才能と努力、そして運によって決まると信じている。この場合の運とは「運がいい」とか「運が悪い」といった短期的、場当たり的なものではなく、「強運の星の下に生まれた」というような持って生まれた運の強弱のことである。谷川浩司のあの強運は、親がもたらしたものに相違ない。そう考えた私は、ぜひとも谷川新名人の両親に会ってみたくなった。谷川名人の母親はどんな表情をしているのか、父親はどんな人か、家の空気はどうか、庭先から玄関まで、家全体もよく見たいとおもった。ちょうど、神戸新聞の将棋担当記者、中平邦彦氏の周旋があって神戸の谷川家への訪問が実現できた。私は、この家の当主で名人の父親・谷川憲正(のりまさ)氏を紹介され、初めて挨拶を交わした。この高松寺の住職である。憲正氏は実によくしゃべり、よく笑う。私は頃合いをみて、「失礼ですが、あなたは今まで怒ったことはないのですか」すると憲正氏は「一度もありません」。谷川名人、そしてご両親と対談しながら私は思った。「家の空気が丸い」。この丸い空気の中で育ったからこそ、今日の名人がある。
谷川少年が小学校に入学すると、市内の将棋道場に通ったのですが、父親が自転車の荷台に乗せて送っていった。父は将棋を良く知らなかったにもかかわらず、子供が将棋を指しているのを見るのが楽しいとのこと。やはり思っていたとおりだった。谷川名人の強さは、父親の思いの強さである。

    米長邦雄 「人生一手の違い」祥伝社

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