yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

鹿児島 加冶屋町

2020-09-28 06:07:30 | 歴史
鹿児島市内、甲突川が彎曲している土堤下に、やや低湿地気味の一郭を加治屋町という。ここは下級武士の団地というべきところで、平地が一戸百坪ぐらいに碁盤の目に区切られ、七、八十戸の武家屋敷がならんでいました。この七、八十戸の郷中(ごじゅう)から、西郷隆盛、大久保利通、西郷従道、大山巌、東郷平八郎、山本権兵衛が出ました。いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものです。江戸時代、薩摩藩には郷中(ごじゅう)という青少年教育組織がありましたが、この教育制度の成果の一つでもあったのではないかと考えられます。

郷中は、青少年を『稚児』(ちご)』と『二才』(にせ)に分けて、勉学・武芸・山坂達者(やまさかたっしゃ、今でいう体育・スポーツ)などを通じて、先輩が後輩を指導することによって強い武士をつくろうとする組織でした。
西郷隆盛はあまりに人望が厚かったのでリ-ダ-を何度も務めました。 

司馬遼太郎「この国のかたち 六」文春文庫

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