yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

 士

2020-09-16 06:22:35 | 文化
「士」という字の由来は「おとこ」です。「論語秦伯 第八」の第六と第七に明快に書いてあります。
第六
曾子曰、士可以託六尺之弧
可以寄百里之命、臨大節而不可奪也、君子人輿。君子人也。

曾子曰ク、士ハ以ツテ六尺之弧(りくせきのこ)ヲ託スベク
以ツテ百里之命ヲ寄スベク、
大節ニ臨ンデ奪ウベカラズ、君子人カ、君子人ナリ。

「訳」
曾子がいわれた、「幼君を託して諸侯の国の運命をまかすこともでき、大事にあたってもその志を奪うことができない。これこそ君子であろうか。確かに君子である。」

「論語秦伯 第八」の第七には、

曾氏曰、士不可以不弘毅
任重而道遠、
仁以為己任
不亦重乎、
死而後已、
不亦遠乎


曾子曰ク、士ハ以テ弘毅ナラザルベカラズ
任重クシテ道遠シ
仁以ツテ己ガ任ト為ス、
亦タ遠カラズヤ
死シテ後已(や)ム
亦タ遠カラズヤ

「訳」
曾子がいわれた、「士人はおおらかで強くなければならない。任務は重くて道は遠い。仁をおのれの任務とする、なんと重いじゃないか。死ぬまでやめない、なんと遠いじゃないか。」

 吉川幸次郎は『論語』(「中国古典選」)のなかで、士のことを、原義としては「家老でない若手の官吏をさす」としつつ、この場合、「ひろく教養ある人物と解していいであろう」という。中国では、読書階級を士または士大夫といいました。
中国の古典には「士は窮しても義を失わず」(孟子)とか「士にして居を懐(おも)うは、以て士と為すに足らず」「論語 憲問第十四」の第三
「訳」
士人でありながら安住の場を慕っているのでは、士人とするには足りない。


日本では、江戸時代に、189万人もの武士がいて、社会の倫理規範を支えていました。
江戸初期の朝鮮通信使が林大学頭(だいがくのかみ)に、「武士には捕吏が要らないというのは本当か」と、質問しました。縄目の恥辱を避けるため、その前に切腹してしまうからである。林大学頭は、「それは薩摩の風だ」と、答えています。

司馬遼太郎「この国のかたち 四」文春文庫





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