山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

600万歩を超える

2020-11-08 04:54:14 | 宵宵妄話

 

 11月2日、今年の歩きの累計が600万歩を超えた。昨年の到達が12月8日だったから、1カ月以上も早いことになる。その理由は、コロナ禍に尽きる。この未曽有の病に対峙するには、とにかく抵抗力を強化すること、勿論防止策も重要だが、それ以上に大切なのは、如何なる病に対しても抵抗力を備え、免疫力を強化することだと考えている。その方法としては、先ずは歩くこと、もう一つは食事の中身であろう。どんなに手を洗い嗽を励行し、マスクをしていても、家の中にじっとしているだけでは、自分自身の体力の強化も出来ないし、一旦外出してもひたすら逃げ回るだけではないか。そんなふうに思っている。正面からコロナと対峙するには、己の身体が病に対して強靭でなければならないと思っている。体力というのは筋肉モリモリのことではない。循環器が適切に循環機能を発揮し、血の巡りがスムースに行くことだと思っている。そのために必要なのは動くこと、特に歩くことがその基本となるのではないか。毎日目標を立てて歩くことを心がけてから、30年が経っているが、この間風邪をひいたことは一度もない。インフルエンザとも無関係である。歩きの効果が結果をもたらしてくれているのだと思う。

11月2日で600万歩に到達するためには、毎日平均19,573歩歩く必要がある。これは歩く時間で言うと約3時間、距離で言うと約15kmとなる。今年はいつもよりも5割ほど増やして目標設定した。600万歩を達成して、少し歩き過ぎているのではないかと反省し、この後は目標をダウンさせて、毎日12,000歩とした。それまでの目標は15000歩だった。この調子で歩き続けると年間700万歩を超えてしまい、これは50歳代の頃の数値となり、明らかに歩き過ぎとなってしまう。80歳の老人はやはり80歳であることをしっかり自覚しないと、落とし穴に見舞われることになるのではないか。調子がいいと思っている時が危険なのだというのが恩師に教わった自戒のことばなのだが、それは人生の如何なる状況にも当てはまる至言だと思っている。

 歩くのは楽しい。歩くのを継続するためには、歩きの中に楽しみを見つけ出さなければならない。自分には幾つもの楽しみがある。先ずは道端の草や木々の様子之観察。四季を実感できるのがこの観察である。それから考えること。歩くことは考えることでもある。この頃は老人としての妄想を楽しむことにしている。若い頃は前を向くことばかり考えていたが、この頃はわけのわからない未来を思ったりするよりも、遠い過去の出来事を反芻し,それに色付けして思いを膨らませることが楽しい。妄想というのは自由自在である。誰もチャチを入れることはできないのだ。戦後の貧しかった小学生の頃の思い出、訳もなく叱られた教師の顔などが思い浮かばれてくる。それらの人びとも皆幽界へ旅立ってしまった。妄想の世界では、皆が生きているし、時代も生きている。それらを膨らまし辿っている内にあっという間に歩きは終ってしまうのである。

今年はコロナのおかげで、存分に妄想を楽しむことができている。百害あって一利なしの感染症だが、この老人には密かな一利をもたらしてくれている。

コメント
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