山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

行田市の田んぼアートを見に行く

2016-09-25 05:01:39 | くるま旅くらしの話

田んぼアートといえば、発祥の地として尊敬している田舎館村(青森県)のそれが最高のものだと思っている。昨年も見に行き、大地に稲穂で描かれた富士山と三保ノ松原の天女の優雅な像に圧倒され、又第2会場のサザエさん一家の微笑ましい表現に感嘆したのだった。弘前市や黒石市に挟まれた地に位置する田舎館村には、垂柳遺跡という弥生時代の稲作の遺跡があり、これに因んでこの田んぼアートが村おこしの一環として始められたと聞いているのだが、その後これに倣って全国各地で田んぼアートが描かれるようになり、今では田んぼアートのサミットも開かれているとか。

自分的には田んぼアートは田舎館村のそれが至上のものと思っており、他の場所へ積極的に出掛けて行き見て見たいとは思わなかったのだ。ところが先日自治会の一杯やる集まりの話の中で、この近くにも田んぼアートがあり、しかもそれがギネスに認定されているという話を聞いたのである。場所は埼玉県の行田市ということだった。これは一度見ておかなければならないと思った。それで、早速見に出かけることにしたのである。

埼玉県行田市は国道17号線を利用した時に通過しているのだが、その名前は知っていても、足袋生産で有名というくらいで、その実際を確かめたことは無く、他に何があるのかは全く知らなかったのである。行田市のどこに田んぼアートがあるのかは直ぐに判った。ネット情報は真に便利である。それは行田市の市役所に近い「古代蓮の里」という所にあるとのことだった。

九月に入ってからは秋雨前線や台風の襲来で天気が悪い日が続き、なかなか出向くに相応しい日がやって来なかったのだが、ようやくチャンス到来と、曇りとの予報を我慢して、中秋の名月の日に出かけることにした。知人の話では直ぐ近くだとおっしゃったのだが、思ったよりは結構遠くて、到着までには2時間近くを要して、古代蓮の里の中の古代蓮会館に着いたのは正午間近かだった。

思ったよりも遥かに広い敷地には、かなりの種類の古代蓮が植えられており、もう開花期は既に終わっていて、枯れ始めたものが殆どだったが、中には未だ花を咲かせているものが数本あり、それが今まで見たことも無い蓮の花だった。守谷市にも古代蓮の池があり、今年はその鑑賞を堪能したのだったが、ここの蓮池はそれとは比べものにならないほどの規模の大きさだった。古代蓮の鑑賞は後回しにして、先ずは会館のエレベータに乗り、高さ50Mはあるという展望台に上がった。

入口にある案内の写真や説明などでは、今年のテーマは「ドラゴンクエスト」ということで、そのようなゲームの世界には無縁な自分たちには何だかよく解らない画題だった。説明では、≪本市の田んぼアートと同様に、ギネス世界記録に「最も長く続いている日本のロールプレイングゲーム」として認定され、今年誕生30周年を迎えた大人気ゲームシリーズの『ドラゴンクエスト』です≫とあり、更に≪昨年ギネス世界記録認定に沸いた行田市の田んぼアートがこの強力なコラボレーションの実現により「行田のおいしいお米」のPR等の農業振興と本市の人気観光スポットとし観光振興を更に推進します≫とあった。なるほどと思ったが、何故コラボレーションなのかについては不可解だった。

30数秒で展望台に着くと、そこは360度の景観が広がっていた。そして眼下東側の田んぼには、何だか怪しげな怪獣の様な絵が剣を持った恐ろしげな顔つきで描かれていた。田んぼの広さは横幅が150m以上もあり、縦もそれ以上あって、総面積は28,000㎡だとのこと。全てを写真に収めるのは難しい大きさである。使用した稲は9種類で過去最多で、田植には2日かかり、延1,500人もが参加したという。展望台の壁には田植の詳細な設計図が貼られていた。並々ならぬ市の思い入れを感じたのだった。

   

行田市の今年の田んぼアート、ドラゴンクエスト。展望室のガラスが反射して上手く撮れなかった。ゲームをよく知っている人ならば感嘆の声を上げるに違いない、田んぼに稲で描かれた壮大な絵である。

なるほどこれは確かに田舎舘村のそれを凌ぐ広さである。ギネス記録認定はまやかしではないなと思った。しかし、自分には何だか納得し難い絵柄なのである。架空のバーチャルな世界が生み出した怪物様の主役が、こんなにもてはやされる現象をどうも感心できないなと思った。作者や行田市に文句やケチを付ける気など更々ないのだが、美味しい米をPRするのに、大自然と無関係な何の情緒も感ぜられない怪物のようなものを使うのは如何なものかと思った。大きさだけを世に誇るのに、ただ当世の人気者なら何でもいいというような発想には同意し難いのである。ま、喜び感動する人も大勢いるのだから、何もどうのこうの言う必要は無いのだと思うが、真老のジジイの価値観は己を度し難いのである。。

やっぱり本家の田舎館村の方がいいなと思った。キャンバスとなる田んぼの大きさでは引けを取っても、描かれる芸術性は遥かに上の様な気がする。田舎館村の今年の田んぼアートは、第一会場が真田丸の一シーン、第二会場がゴジラ・シンだとのこと。遠過ぎて出掛けて行くのは出来ないけど、ライブカメラなどで様子を見て見ると、実際の状況が目前に迫って来るようで、いつもの感動を思い起こすのである。

ちょっと複雑な感慨を抱きながらエレベータを降りたのだが、その後の会館内の古代蓮に関する説明資料や写真・展示品などを見せて頂いて、これは相当に立派なものだなと感心した。自分は古代蓮といえば大賀ハスだけだと思っていたのだが、世界にはその他何種類もの古代からの蓮があって、花の色や形も様々であり、それらの幾種類かがこの古代蓮の里の池にも植えられているとのこと。来年の開花期には是非とも再訪しなければと思った。蓮の花には、他の植物の花には無い格別の魅力を感じている。来年が楽しみである。

   

古代蓮の里の中にはまだ咲き残っていた花がほんの少しあった。これは最後の花を咲かせていた「大洒錦(たいせいきん)」という名のハス。初めて見る不思議なハスの花だった。

ということで、田んぼアートの見物は終わったのであるが、そのあと、近くに忍城跡があるというので行って見ることにした。武蔵国の忍城のことは、戦国時代以降の歴史書や物語の中で数多く触れているのだけど、実のところそれが現在どこにあるのかは全く知らなかったのである。それが行田市にあったとは!何という迂闊な認識だったのだろうと己を恥じた。

      

 忍城の跡には新しい時代に建てられた櫓が一つ残っていた。この城については、「のぼうの城」という映画に詳しいらしい。その映画をまだ見てはいないのだが、面白そうだ。秀吉の小田原攻めの際に唯一陥落しなかった城がこの忍城だったとのこと。最も攻めたのは石田光成ということだから、今の世の評価から見ればラッキーだったのかもしれない。真実は解らない。

資料によれば、この行田市辺りが埼玉県の呼称の発祥の地だったとか。今までどうして埼玉県なのか解らなかったし、さいたま市のどこかにその源があったのかなどと軽々に考えていたのだけど、これはとんでもない愚かな認識だったと反省させられた。行田市は足袋だけではないたくさんの歴史が詰まっている街だということを初めて知ったのである。

忍城跡には小さな櫓が一つ建っていて、その中に入るのは出来ないようになっていたけど、僅かに残る掘り跡や本丸辺りの屋敷跡などをざっと一回りして、ここも、もう一度じっくり訪ねて見る必要があると強く思った。田んぼアートにはさほど感動できなかったけど、その後の古代蓮池や忍城跡、それに足袋蔵の残る町並みには強く心惹かれるものがあり、己の胸に再訪を約しながら帰途に着いたのだった。

コメント
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