山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

第54回新年会模様

2013-01-09 06:28:54 | 宵宵妄話

 去る1月5日に高校卒業時のクラスの新年会があり、出席して来ました。毎年恒例となっているこの新年会は、同窓会でもあり、今年で54回目を迎えました。既に半世紀を超えています。世の中には、たくさんの同窓会があると思いますが、高校卒業後54回も切れ目なく毎年続いているのは、それほど多くはないと思います。

この同窓会のメンバーは、勿論皆同世代で、辰年生まれが揃っています。満年齢72歳です。早や生まれや健康等の事情があって辰年以外の生まれの人もいますが、そのようなことは問題ではありません。今年の出席者は15名でした。卒業時の在籍者は53名でしたが、亡くなられた方が5名、その後の連絡不通者が3名おり、連絡可能な者は現在45名です。しかし、所定の連絡先に葉書を出しても応答なしの人が2名ほどおり、実質的には現在の登録メンバーは43名となっています。今年は35%の出席率でしたが、多い時には50%を超える時もありました。

何でもそうですが、一つの集団が集団としてまとまり、維持できるためには、そこに幾つかの必要な条件があります。目的や役割などが重要視されますが、最も重要なのは集団がまとまる根源となる力であり、これを専門的には集団の凝集力というのだそうです。これはグループダイナミックス(=集団力学)という学問の説明です。職場などの営利的行為を離れた集団では、目的や役割などよりも、もっと別の凝集力の根源が重要ではないかと思います。

この新年同窓会の凝集力の根源は、明確です。卒業時の担任だった恩師の存在がそれなのです。恩師は数年前に幽界に旅立たれましたが、その凝集力は今でもこの集まりに大きな影響をもたらして下さっています。

思うに、教師というのは、在学時の指導よりも卒業後に何をなされるかによって本来の使命を全うされるのではないか。つまり、人生の指導者としての存在こそが教師の本来の姿なのではないか。そのようなことを教えて下さった恩師の人となりでした。知識の付与などというものは、本当の教師の役割使命ではなく、大切なのは、学ぶ面白さを解らせることであり、それを使って生きることの楽しさ、それに気づかせることなのだと思います。本来、人は自分自身の力でしか学ぶことはできないのだと思います。卒業後の集まりの中で、恩師にいろいろ教えて頂いたことは、今でも肝に沁み込んでいます。

この新年会では、過去一度も手拍子に合わせて歌を歌うとか踊りを踊るなどという振る舞いを見たことがありません。酒が入ると、大声をあげて歌ったり、騒いだりするのが宴会の当たり前の姿ですが、そのような雰囲気は全くないのです。それでは、取り繕って堅苦しい雰囲気なのかといえば、そんなことは全く無く、至って平穏なムードなのです。一人ひとりがこの一年の出来事の報告を行い、それをじっくり聴いて、時に質問をしたりして、お互いの状況を確認し合うだけの時間なのです。これがとても気に入っています。そのような連中の集まりなのです。

さて、この新年会のメンバーは多士済々です。厳密にいえば、自分などは多士の中には入らないと思いますが、現役時代の一人ひとりの肩書きや実績は、それなりに称賛に値する人物が殆どだと思います。個別に披歴すれば偏った自慢話のようになるので、止めますが、言いたいのは、もはやそのような過去のことではなく、今現在の暮らしぶりです。ハッキリ言えば、ジサマとしての暮らしぶりです。

古希を過ぎて3年も経てば男も女も皆人畜無害の存在となりますが、多士済々のメンバーの中には未だ毒の抜けきらない人もいて、ピリ辛の世情コメントなども飛び出します。しかし、多くのメンバーは、もはやそんなことは脇に置いて、話の主題といえばやはり健康や暮らしぶりについてのことが多くなります。

生・老・病・死は、避けて通れぬ人の道ですが、我々の世代では、老と病がミックスされた只中にあり、その向こうに最終のゴールが垣間見えるといった状況です。今回出席メンバーの中にも大病を患い、未だ予後の手当てに油断ならぬ人もおられるし、欠席されたメンバーの中にも、同じように病苦に悩まされている人が何人もいるといった状況です。病についての話を聴いていると、辛くて重い気分となりますが、少しでも早く痛みや不安が除かれて、元気を取り戻して欲しいと願うばかりです。ピン・ピン・コロリの前提は、健康であるということなのですから、この願望を実現させるためには、不断の健康づくりの実践が大事なのだと、改めてそのことを思ったのでした。

暮らしぶりと言えば、現役の人は2名ほどで、殆どは年金暮らしに入っており、苦笑含みの懺悔話の如きものの披歴が増えて来ています。カミさんに代わって買い物をすることが多くなり、チラシの食材の値段などに敏感になったとか、物忘れが気になり出して要注意だとか、かつての多士済々も、今の現実はお互いごく平凡な生きざまを晒し合う(?)と言った状況なのでした。

今回の出席者は15名でしたが、実はそうではなく、幽界からも恩師を初め全員が参加してくれているのだと思っています。このように書くとオカルト的になりますが、世の中にはそのような不思議があってもいいのではないかと思うのです。幹事メンバーの一人と一緒に、エレベーターの前で未到着者を待っていると、ドアが開く度に目がそこに行くのですが、ドアが開いても無人の時には「おっ、先生が来られたぞ!」と声を上げた隣の彼を見て、やっぱり思いは同じなんだなと思った次第です。馬の骨は、この不思議な集まりの幹事の一人なのです。

あと何回この集まりが実現するのか、これからが正念場だと思っています。少なくとも集まりが還暦を迎える頃までは続けたいものです。ギネスブックに登録されるほど続けられれば、こりゃあ大したもんだと思いますが、実のところ、回数など問題ではなく、あの世に行ってもこの集まりは平平凡凡と続いて行くのではないかと思っています。

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