山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

今年の我が身の5大ニュース(その1)

2018-12-26 05:11:48 | 宵宵妄話

 今年も間もなく終りが近づいている。この一年を振り返ってみたい。世間では、十大ニュースなどというまとめられ方があるけど、このジジイの一年では、十を数えるほどのできごとはないと言っていい。だけど老人の暮らしでも、五つくらいはニュースに数えられる体験はあったと思う。それを書いて見たい。

 今年体験した出来事を大別すると、自然界のできごとが三つとそれから我が健康に関するできごとが二つある。

 先ず自然界の出来事だが、これは年々異常さを増している。我が人生78年を振り返って、歴史的にも記録として残ると思われるできごとの多くは、仕事リタイアした後の十数年間に体験している感じがする。その最大のものは東太平洋大地震であり、それに伴う世界最悪の原発事故である。その他にも台風や大雨による災害が頻発しており、それが重大化している。

 今年は5月下旬から9月中旬まで約3カ月半、112日をかけて一万千キロ余りの北海道の旅をした。蝦夷地から北海道と名が改められてから150年を迎える記念の年ということで、改めてその150年の来し方を訪ねて各地を回るという企画だった。全道各地の歴史資料館や博物館など140カ所余りを訪ねて、幾つもの新しい発見に驚き感動を味わったのだが、この旅の間に近年の自然災害の恐ろしさを身近に体験したことが三つほどある。この三つのできごとは、明治になるまでのアイヌ民族が暮らしていた北海道では決して味わえなかった悪質な自然災害だったのではないか。そのようなことを想いながらその出来事の所感を述べてみたい。その三つの出来事とは次のようなものである。

①大雨による長期足止めの体験(7/2~7/7)

②台風21号による恐怖の風塊の体験(9/4~9/5)

③胆振東部地震によるブラックアウトの体験(9/6~9/7

体験した順を追って述べることにしたい。先ずは大雨による長期足止めの体験だが、これはかつて九州に在勤していた際に経験した長崎市の集中豪雨による大水害を想わせるものだった。あのときは狭い長崎市内に一瞬に濁流が押し寄せ、中心街の商業施設の大半を呑み込んで、大混乱を来したのだが、今年のそれは長崎のような地形ではない、だだっ広い旭川市全域に亘る水害だった。幸いにして大河の氾濫には至らなかったが、地域的には小河川の氾濫のために交通がマヒして動きがとれなくなった場所もあり、大災害の発生に紙一重の状況だった様な気がする。大雨のその日は知人宅に泊ったのだが、昨日から降り始めた雨は勢いが止まらぬままに降り続いており、早朝の4時前から枕元の携帯が何度も鳴り響き、開けてみると市当局からの避難勧告を指示するエリアメールだった。旅の中ではあまり経験したことが無かったことである。この地に何度も訪れているとはいえ、旭川市の地形に詳しいわけではなく、どこへどのように避難すればいいのか、困惑した。落ち着かれている知人の話を伺って、この地区が直ぐに避難を必要とする場所ではないことを教えて頂き、さりとてこの先雨降りがどこまで続くかもわからず、ここに止まるよりもより安全な場所をと考え、結局は旭川駅近くにある道の駅に行って様子を見ることにしたのである。道の駅に着くまでの途中に見た美瑛川と忠別川の様子は、悪魔の奔流に違わなかった。大木を押し倒して水は溢れ奔って、堤防のかなりの高さまで来ていた。これが溢れたら旭川市は壊滅だなと思いながらも、市の中心部である道の駅辺りにはそう簡単に濁流が押し寄せる設計にはなっていない筈だと、思いながらの到着だった。道の駅の近くには大きな商業施設があって、暮らしに困ることはないだろうという目論見だった。駐車場はかなり混んでいたが、どうにか車を止めることが出来て安堵した。それからここを離れるまでに6日間も要したのである。川の水が引き始めたので、洪水の心配は無くなったのだが、市内の各所でまだ氾濫が復旧していないところがあり、安全が確保されるまでは動くことを止めにしたのだった。このような状況の中では、安全を求めて動くタイミングを誤ると余計危険な状態に落込むことになりかねない。そう思っての6日間だった。

それにしてもこの大雨は何なんだろうと思った。まるで九州地区を毎年襲う梅雨末期の集中豪雨の感がしたのである。北海道には梅雨が無いという神話はもはや消え去り、蝦夷梅雨なるものがあるということだが、今は北海道の梅雨即ち雨期は内地と変わらないと断言したいほどだ。7月頃の来道が多いのだが、内地と同じレベルの雨降りに出くわすのは毎年変わらない。明らかに日本列島の気象は異常化が進んでいる。今年なんぞは、雨降りのタイミングがかなり早まっている感じがした。要注意だ。

次は台風21号の風塊の話である。風塊などという言葉はないのだけど、これは自分が実感してそう思った造語である。今年の台風21号は、各地で悪さを仕出かした強風を力とする台風だった。その来襲を知った9月4日、前日から避難場所を真狩村の道の駅と決めて、通過するのを待ち構えていたのだが、台風は予想違わずやってきた。夜半からの襲来ということだったが、夕刻までは広い駐車場には自分の旅車1台だけだった。少し心細かったのだが、幸い夜になる少し前に、両サイドに1台ずつ旅車が入って来てくれて、ガードして貰える形となったのでありがたかった。

さて、台風だが、その風の強さの何と凄まじいことか。断続的にぶつかって来る風の勢いは、もはや風ではなく空気の塊なのである。しかもその塊は、空気の柔らかさではない鉄の塊に似た固さと重さを伴っている感じがしたのだ。見知らぬ悪神が自分の車をめがけて何度も何度も鉄の球のごとき風塊を振りおろしている感じがした。幸いなことに風の方向が車の後部からだったので倒れることは無かったのだが、もしこれが横からだったら、3台が将棋倒しになっていたかもしれないと思うほどの風圧だったのである。翌日風が収まってから見たニュースでは、隣の倶知安町では最大瞬間風速が45m/sだったと報じていた。家屋が破壊されるレベルだったのである。家の中に居たのなら、風の音もかなり低くなるのだろうが、旅車の中では、薄い壁の外は直接的に風の攻撃音を耳にするのだから、たまったものではない。眠るなどという芸が通ずる状況ではなかった。一夜明けて、ピカピカの空を仰ぎ、すぐ傍の羊蹄山を見上げながら、改めて大自然の怖さが半端ではないことを実感したのだった。それにしても、もはや北海道に台風の名残だけが押し寄せる時代ではなくなったようだ。暑い北海道の夏が台風を呼び込む時代に突入してしまったのではないか。恐ろしいことである。

3つ目は胆振東部地震とその後のブラックアウトの体験である。台風21号が去ってヤレヤレと安堵して、旅の移動を再開しようと考えていた9月6日の早朝、枕元の携帯が鳴った。緊急を知らせるエリアメールである。何だろうと開く間もなく車がぐらっと揺れて、メールの画面には地震を知らせる警戒文が書かれていた。車の中なので、感じた揺れは震度4くらいのレベルではなかったか。直ぐにTVをつけて見たが、まだ大した情報は表示されておらず、各地の震度が表示されていただけだったが、胆振東部のむかわ町辺りでは震度6などと表示されていたので、大丈夫かなと心配しながら、再度寝床にもぐりこんだ。少し眠る間もなく5時頃だったか、知人から電話やメールが届いて、北海道が地震で大変なことになっているけど大丈夫かという問い合わせだった。

慌てて起き出してTVをつけて見ると、いやあ、驚いた。夜が明けるにつれて、被害の状況が次第に判って来て、厚真町の山崩れの写真の映像を見た時は、度肝を抜かれる思いがした。幾つもの山や小高い丘が地面をむき出しにして崩れ落ちているのである。こんな景色は見たことが無い。惨状極まりなしといった感じだった。幸い津波被害には至らなかったものの、つい先日近くを通っているあの平穏な場所が、一瞬にしてこのような酷い状況になり果てるとは。台風とは異質の、より不気味な大地を揺り動かすという大自然の所作に恐怖を覚えるばかりだった。

さて、大自然の脅威をまざまざと見せつけられたその後、今度は人間世界の落とし穴を見るようなできごとが待っていたのである。自分達は旅車の中に居て、ソーラー充電などでTVを見たりする電源の確保は出来ているので気づかなかったのだが、朝になって外に出て見ると、何とあらゆる暮らしの基盤となるものが動かなくなっていたのである。先ず気づいたのは、朝の歩きに出かけようと駐車場を出たら、道路の交通信号が全て消えているのである。コンビニの照明も消えており、ショーケースの冷凍等の装置もダウンしているし、トイレに行って見ると一度流せるだけでそのあとはもう水は出ないのだ。その他電気を源とするあらゆるものが全てストップしているのだった。これは大変なことになるなと思った。TVをつけて見ると、大混乱の状況となっていた。初めて聞くブラックアウトという言葉が何だか不気味だった。北海道内の全ての発電所が機能不全となっているという。復旧の見通しは立っていないという。1週間も、否2~3日といえどもこのような状態が続いたら、北海道は前代未聞の非常事態に落ち込むことになる。先ほどの地震により道全体の電力供給のかなりの部分を担っていた、厚真町にある苫小牧発電所が動かなくなり、それに連動して道内の他のエリアの全ての発電所が止まっているとのことだった。電力供給の仕組みがどうなっているかなどは全く知らないので、ブラックアウトなどという現象は見当もつかず、とにかく少しでも早く何とか復旧して欲しいと思うだけだった。

取り敢えず食料と水については少しの間は大丈夫、電源の方は天気さえ良ければ何とかなる。燃料としてのガスは半月分ぐらいの在庫があるし、問題は長期となった場合の給油の可否である。スタンドは電気が来ないため営業できない状況となっている。給油ができないとなると、復旧するまでしばらくここにいなければならなくなる。帰りの日程のこともあるし、さてどうしたものかと思案に暮れたのだった。

翌日になると、朝真っ先に信号を見たら点いていたので、あ、大丈夫だ、復旧が進んでいるなと安堵した。しかし、まだ消えている信号もあり、完全に元に戻っているという状況ではないようだ。その後時間の経過につれて、漸次復旧が進み始めたので、もうこれなら早やめに帰途に就こうと思った。災害というのは時として連鎖するという現象があり、台風と大地震が起きたあとでは、次にどんなことがやって来るか分からない。こんな時にはサッサと見切りをつけて旅を終わらせるのが一番と決断したのだった。

このブラックアウト現象というのを体験してみてしみじみ思ったのは、我々の暮らしというのは、電気無しには成り立たないということである。文明の利器も利便性も何もかも電気が供給されなければ、何一つ成り立たない。電気を源とする絶対的な連鎖のシステムが出来上がっているのである。今回の出来事の中で、最も印象的だったのは、道東の牧畜業に係わる世界で、電気が供給されなかったために乳牛たちの生存にもかかわる事態が発生したというニュースだった。搾乳ができずそのため乳牛たちが病の危険に遭遇するという。あののんびり草を食んでいる牛たちにも電気は深く係わっているのだなと思った。1日はおろか1時間でも1分でも電気の供給を怠ることは、直ちに世の中のどこかの部分に重大な問題を惹き起すことになるのである。今回のできごとを振り返ってみると、まだまだ人間のやることには幾つもの落とし穴が用意されているようだ。

今年は大自然が引き起こした重大な現象を3つも実体験したのである。いずれも旅先でのできごとだったが、次は普段の暮らしの中で何がやって来るのか、見当もつかない。願わくばもうこれ以上の大自然の怒りには触れたくない。あの世に行くまで、現状維持を叶えて欲しい。そう思うできごとだった。

(残りの二つは明日にします)

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