山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

古代ハスの眩惑

2016-06-28 06:02:45 | 宵宵妄話

 このところ書くことに関しては絶不調です。どういうことなのか自分でも全く解りません。とにかく書く気が起こらないのです。最近は随分と長い間、「老」というものについてあれこれと思いを巡らし、あまりにそのことに囚われ過ぎたきらいがあり、その反動が来ているのかもしれません。

 このような時は旅に出るのが一番なのですが、その旅も未だ終わったばかりであり、暑い夏が終わるまでは我慢をしなければならないと決めており、なかなか突破口が見出せません。

 そのような中で、ただ今は只管(ひたすら)日に一回は汗をかくことに努めており、毎朝4kgから6kgほどの錘(おもり)を身につけて、8kmから10kmほど歩いているのですが、今日はその途中で嬉しい出会いがありました。3つほどあるコースの一つの守谷城址公園を通る道の、少し脇にある古代ハスの池の花が最盛期を迎えたのです。

   

守谷市にある城址公園の脇の古代ハス池の開化の様子。普段は目立たないので、そこにこのような池があるのを気づかない人が多いのだが、この季節は違うのだ。

 家を出て40分ほど歩き、身にまとう錘の重さに身体が慣れ出したた頃にその池に着くのですが、3日前に来た時は数が少なかったハスの花が、今日は見事に満開近くとなっていました。思わず携帯しているカメラを取り出し、何枚かを取り込みました。まあ、何と美しいことか。息をのむ美しさがあり、桜や梅や他の野草たちとは違った、独特の雰囲気を持った花なのです。ハスの花には、そしてこのハスという名の不思議な植物には特別の感慨があります。

     

開花した古代ハスの花。淡い朝の光を浴びて、その美しさは、人を妖しくも幻想的な世界に誘う。

 特に古代ハス(=大賀ハス)には、他のハスとはまた違った感慨を覚えるのです。30年ほど前になりますか、千葉市の検見川という所に住んでいた時に、近くに東大の運動場があり、その中にそのハスを栽培している池があって、開花の時期にはよく訪ねて、その美しさに我を忘れたものでした。2千年以上も前の弥生時代か、あるいは縄文の終わりのころか、その頃咲いていたハスの実を大賀博士が苦心して開花させたと聞いています。それが今ではこの守谷市にも取り寄せられて、こうして花を咲かせてくれているのです。

 ちょうど今、日本の古代史などに目を向けているところで、縄文や弥生時代の暮らしぶりなどを、資料を通して思い浮かべていたところでもあり、このハスの花に往時の古代の人々の寄せる思いが伝わってきます。2千年以上も前の人たちも、特別な思いでこの花を見ていたのではないか。人間の心の世界は、自然を感ずる感性は、根っこの所ではそれほど変わってはいないと思うのです。古代人はただ素直に美しいものを美しいと感じて感動しながらこの花を見ていたのではないか。それをしみじみと感じたのでした。

 しばらく花を見つめていました。くらくらっと来るような、しかしどこかに温かさの一杯詰まった花でした。泥の世界に身を置いて、浮世に咲かせる花の美しさは、生命の限りを尽くしたものなのかもしれません。それゆえに仏教の世界では最も愛されている花だと聞いています。

   

どの花を何度見ても、見つめていても、その澄んだあでやかな命の輝きの世界は変わらない。

 これで絶不調も少しは和らいでくれるかと、再び汗をかきながら歩きはじめることにしました。

 

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