山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

バネ指治療行(冬の喜連川温泉)<その2>

2017-01-21 18:36:45 | くるま旅くらしの話

<続き>

そのあとは、今夜はもう一つの浴場の、もと湯の方に入ることにして、移動することにしました。もと湯はお丸公園の南側の下にあって、ここは先年の東関東大震災とその後に襲った集中豪雨のために甚大な被害をこうむり、しばらくの間休業を余儀なくされていましたが、3年ほど前にようやく営業が再開されたのでした。露天風呂とは源泉が異なり、こちらはかけ流し専用とはなっておらず、加水や加熱等が行われたお湯のようで、露天風呂と比べればその分柔らかい湯となっています。こちらに移動したのは、理由があって、どういうわけなのかここの駐車場では地デジが受信OKなのです。今回はパソコンなどを持参していないので、ニュースを見るためにはここへ来る必要があるというわけです。

昼食にはまだ少し早い時刻ですが、その準備をすることにしました。ご飯を炊き、味噌汁を作ることにしました。ご飯は持参した米2合を一度に炊くことにしました。余った分はオジヤにして明日の朝に供する考えです。おかずは作るのが面倒なので、近くのスーパーに行き、惣菜を買うことにしました。食べる準備が終われば特にすることも無いので、持参した本を読んでお腹が空くのを待つだけです。適当な時間に昼ごはんでお腹を満たし、そのあとは読書に疲れて午睡となり、目覚めての入浴となりました。指の方は痛さが戻っていましたが、我慢することにしました。

17時過ぎ300円の切符を買って入浴です。ここの浴場は内湯に二つの浴槽があり、外に露天風呂が用意されています。露天風呂と違って、洗い場もシャワー付きです。シャンプーとボディソープが用意されているのは、料金の割には優れたサービスだなと思いながら、身体を洗い洗髪を済ませました。そのあとは露天風呂に浸ることにして、指の療治に努めました。露天風呂の浴槽の囲いの竹垣の向こうが明るくなっているので、何だろうと立ちあがってみて見たら、何と丁度今、雲に隠れていたお月さまが顔を出したところでした。丁度満月らしく、まん丸のお月さまを見ながら、しばらく至福の気分での入浴でした。我が相棒は、今回は家に残っているのですが、それは喜連川の温泉は身体に刺激が強すぎてダメなのだそうです。でもここの湯ならば大丈夫ではないかと思ったりしました。しかし、かけ流しでないのなら温泉じゃないなどと、又偉そうなコメントをするのだろうな、などとも思ったのでした。

その夜は、そのまま駐車場に居座って、再び寒い一夜を明かしました。昨日よりも冷え込みは更に厳しくなったようで、朝起きた時は車内の温度はマイナス1℃となっていました。冷凍庫に近付いてきている感じがします。但し、布団の中には湯たんぽも入れてあり、眠りには何の支障もありません。ただ、眠らなければならない時間が余りにも長すぎるので、一度目覚めてしまうと、次の眠りが来るまでが長いので苦労しました。家におれば起き出して、眠くなるまで何かやれるのですが、ここではそれが出来ないのが何だか勿体ないなという感じです。そうこうしている内に朝になり起き出したのは7時少し前でした。ここのもと湯は朝の7時が営業開始時刻です。大急ぎで準備をして浴場に向かいました。

朝湯は老人には最高クラスの恵みであり、それが温泉というのは贅沢といっていいのかもしれません。もと湯の朝風呂も湯けむりの中でした。昨夜の入浴で洗髪や身体の洗いは済ませているので、最初から露天の方の浴槽へ直行です。昨日の朝の露天風呂と比べてお湯が柔らかいのは、加水の所為なのかもしれません。指の治療にはきつくてもかけ流しの方が良いのかななどと思いながら、とにかく丹念に揉みほぐすことを心がけました。しばらくすると陽が昇って来たのか、湯けむりが薄れて辺りが一気に明るくなり出しました。温泉に入っているのだというのを実感しました。8時過ぎに湯を出て車に戻り朝食です。

朝食は昨日作った味噌汁の中に残っているご飯を入れて、オジヤとしました。少し時間をかけて煮込むと米が柔らかくなって、味噌粥のようになります。これが好きで、寒さのある季節の旅では、前夜にご飯を残すことが大切なのです。2杯ほど腹に入れると身体の芯から温まる感じがして、大満足でした。

朝食の後はしばらくTVを見たりした後、歩きに出発です。今朝の歩きは、すぐ目の前に聳えるお丸山公園の丘の道を上り、公園の周辺を散策することです。お丸山公園は、古城の跡地で、小高い山の上に造られており、そこに上ると喜連川の町を俯瞰することが出来ます。喜連川の藩主は、城ではなく下方に館を造って住まわれていたとのことです。公園には丘の中腹にも幾つもの散策路が造られており、石仏なども数多く並べられていて、それらを見ながら縦横に歩き回るのが好きなのですが、今回久しぶりに歩いて見ると、まだまだ災害の爪跡が残っていて修復が終わっていないのが判りました。一部であるとはいえ、大地が動き崩れるというのは凄いことなのだなと、改めて大自然の怒りのパワーの大きさに恐怖を覚えました。しばらく散策路を歩き回った後に、公園を離れて昨日歩いた荒川沿いの道を道の駅構内の親水公園まで歩き、再度リニューアル工事の状況などを覗きながら、車に戻ったのは11時半頃でした。

さて、少し早目の昼食にしようかと、茹でたうどんを取り出し、準備を始めたのですが、いつの間にか日が陰り出し、何だか急に寒くなり出した感じなのです。外に出て見ると、にわかに暗黒の雲が湧き出して、北の方からこちらに向かって駆け出して来ているようなのです。昨日もそうでしたが、北の方に見えるはずの那須岳は黒い時雨雲の中にあって、それほど遠くも無いのに、そこには別の冬の世界があるように見えました。それが、今は大きな塊となって一気にこちら目がけて襲ってくる感じなのです。こりゃヤバイなと思いながらTVの天気予報を見てみたら、穏やかならぬ状況なのでした。今日から明日にかけてこの地のエリアにも雪が降るなどと言っているのです。

未だ4回しか湯に浸っておらず、予定では今夜と明日の朝との分が残っているのですが、もしこのまま残っていて大雪にでもなったらそれこそ大事(おおごと)です。SUN号は冬タイヤの準備などしておらず、路面凍結への備えなど全くしていないのです。ま、何とかなるとは思うのですが、何よりも困るのは家にいる相棒が大騒ぎをしないかということなのです。とにかくオーバーな心配をする人なので、早目に決断した方がいいのです。ということで、食事の後は一気に退散を決めて、出発することとなったのです。

準備をしている間にも黒雲は更に膨れ上がって迫って来て、ちらほら雪の欠片のようなものも落ちて来てフロントガラスを濡らし始めました。まさかこのような展開になるとは予想もしておらず、バネ指どころではないといった状況となってしまったのです。いやはや。どうも。その後は只管我が家を目指し、15時頃に立ち戻ったというわけなのですが、喜連川を離れて遠くなるほどに天気は何事も無く晴れて、この騒ぎは真に独り相撲そのものではないかと思ったのでした。

 

短い旅の記録を大げさに書き連ねました。バネ指のその後ですが、少しは改善されたようです。靴ひもなどを絞める時に、力を入れると薬指が元に戻らなくなり、戻すのに左手の介添えがいるのですが、その回数がかなり減ってきました。今は家の風呂やわらしべの湯などへ通いながら揉み療治は続けています。又散策時にも意識して手のひらや指の運動を続けていますので、以前よりは大分楽になりつつあり、手術は避けられるかもしれないと密かに思うようになって来ています。雪や凍結の心配が無くなったら、もう一度喜連川の湯に浸りたいと考えています。

コメント
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