山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

第58回新年会に出席する

2017-01-15 21:20:27 | くるま旅くらしの話

 何年か前にも書いたことなのですが、今年も我が高校卒業時同級生のクラス会(=新年会)が、故郷の水戸市の某ホテルで開催されました。出席者は何と20名にもなる大盛会でした。私が幹事の事務局を担当してから10年以上が過ぎましたが、この頃では最多の人数となりました。卒業時50名だった旧友は、亡くなったり所在が判らず連絡が取れなかったり、或いは参加辞退を望む者がいたりして、現在は35名と連絡通信しています。今年は喜寿を迎えることになり、健康上の問題から出席できないという人も多く、果たして予約の15名を確保できるかと、幹事として心配していたのですが、全くの杞憂でした。

高校を卒業したのが昭和34年(=1959年)ですから、その翌年からこの会が同窓会として開催されるようになって、今年はその58回目を迎えたことになります。これほど多くの回数のクラス会を新年会という形で継続して来ている集まりは、世の中にはそれほど多くはないように思います。あと2年後にはめでたく還暦の回数となるのです。

この集まりが継続出来ているのには、二つの理由があるように思っています。その一つは卒業時のクラスの担任だった先生のお力であり、もう一つはクラス会を引っ張って来てくれた何人かの有志の尽力があったからなのだと思います。

斯く言う自分などは、卒業以来このような集まりがあることなど全く知らなかったのです。それが卒業から30年経った時のある日突然、卒業時に皆で作った記念文集が送られて来たのでした。添えられた便りには、往時の担任の先生が自費で復刻版(ガリ版刷り)を作られたとありました。自分は先生のお考えがよく解らなかったのですが、先生は往時このクラスを担当されて、格別な思いを抱かれておられたということでした。それに加えて有志幹事からの新年会への案内状です。これには少なからず心を動かされました。出席しないわけには行かないと思って顔を出したのは、私一人だけではなく30人を超える人数だったような気がします。先生の思いが私たちを動かしたのだと思います。

それ以降支障のない限りは出席するようになりました。そして次第にこのクラスの存在意義を感じるようになったのです。教師(先生)というのは、在学中だけの関係者に過ぎないなどという軽率な考えがあったのですが、その認識が出席の回を増すごとに愚かだったことに気づき、学び舎を去った後でも、もっと大切な教えを頂戴できる存在の方もおられるのだということを思い知らされ、自分にとって年に一度のこの集まりが大切なものとなったのです。

残念ながら先生は10ほど年前に他界されたのですが、その後も我々のこの集まりに対する思いは衰えることなく、毎年15名以上の出席を維持しており、この頃はむしろ増える傾向を示しています。

さて、今年の新年会を振り返ってみたいと思います。喜寿を迎えた老人たちが、一体どんな話をしているのかというのも、興味あることかと思います。話題の中心となっているのは、やはり老化の進捗を心配する病に係わる話です。記憶力の減退、行動力の弱体化等々に関する悩みというか、自覚というか、それらに関する話を多く聞かされました。物忘れというか、とっさに出て来ないことばや名前が増えて来たということなど。それはわが国のトップクラスの大学を出た者であっても、皆同じといった具合の自己認識でした。つまり、老化というのはほぼ平均的に万人に同じような現象を呈するもののようです。

因みに私が話したのは、認知症に対する注意警戒に関することでした。昨年義母を亡くしましたが、亡くなるまでの10年間を通して、義母が教えてくれたことを伝え、この病の怖さと対策について共に理解しようと訴える気持でした。認知症というのは、物忘れから始まり、うつ病 → 記憶の減退 → 運動機能の減退 → 思考力の減退 → 植物化 → 死 というような現象が、前後しながら進展してゆく病のように思えます。しかし、大切なのは物忘れがひどくなる前に見られる現象であり、それはやりがいや生きがいといったものを失ったり放棄したりすることなのです。強い生きがいややりがいを持っている人は、物忘れなどに係わっている暇はないのです。だから、誰氏も生きがいややりがいを確保してこの後を生きてゆこう、というのが話の大要でした。

もはや国情や世情を論ずるというような勇ましい話は出て来なかったように思います。真老(75~85歳)ともなると、まさに我が身の老と正対しなければならず、しっかりと現実の自分を見据えて一日一日を大事に過ごすことが肝要なのだと思います。メンバーの中には杖を必需とする者もいて、何よりも我が身をしっかりと生き支えることが肝要なのだと改めて思った次第でした。来年もまた皆が元気で再会できることを強く思いながら、夕刻の水戸を後にしたのでした。

コメント (2)
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