山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

佐渡一国を味わう旅を終えて(3)

2015-07-09 04:56:35 | くるま旅くらしの話

◇羽茂祭りの二つの感動

次に、これは目的としていたのではなく、偶々出合った出来事としての佐渡の祭りを見て感じたことについて書きたい。その祭りとは、「羽茂(はもち)祭りである。佐渡の6月のお祭りイベントとしては、大きなものとして二つの催しがあった。一つは相川地区の「宵の舞い」という踊りのパレード。それからもう一つは小木の隣町の羽茂(はもち)という所で開催される「羽茂祭り」である。

南佐渡の海岸線を辿って小木まで行き、港の構内にある駐車場に泊った時、近くの商店街などに「羽茂祭り」と書かれたポスターや幟などがたくさんあるのを見かけて、少し関心を持った。

その祭りは、草苅神社での薪能が予定されている15日が開催日なのである。その草苅神社は同じ羽茂地区にある。後で知ったのだが、草苅神社の薪能は、羽茂祭りのイベントの一環として、祭りの締めくくり的に行われるものだった。祭りの前に、一体どんな内容なのか知りたくて、近くにある小木の観光協会へ行って聞いてみたのだが、プログラムの資料はなく、知らないという。羽茂の商工会に訊いて欲しいということだった。観光協会が祭りの名称と開催日だけしか知らないというのは、一体どういうことなのだろうと不思議に思った。祭りの内容は、開催当日までは結局草苅神社の薪能のことだけしか判らなかったのである。

佐渡の地区の祭りの実際を見るのは、初めてのことであり、地区に伝わる伝統文化などを知るには絶好の機会だと思った。自分は元々あまり祭りが好きな方ではなく、大体は祭り好きの相棒に引き連れられて見物するというタイプの人間である。それが割と積極的に羽茂祭りを見る気になったのは、当日の夜の草苅神社の薪能を見るという目的もあったが、やはり佐渡の伝統文化を少しでも理解したいと考えたからでもあった。人間、変われば変わるものではある。

当日は、駐車場を確保するために、下見をしていた場所に着いたのは早朝の6時を少し過ぎた頃だった。ここに終日腰を据えて、夜に行われる草苅神社の薪能が終わるまで、随時祭りの様子を見物することにした。その駐車場は、草苅神社には近いけど、祭りのメイン会場からは少し離れていて、10分ほど歩かなければならなかった。

8時頃からふれ太鼓が町中を歩き回り始め、次第に祭りの気分が盛り上がり出した。9時過ぎにちょいと祭りの見物に出かけることにした。そのとき、ようやく祭りのプログラムを手に入れることができた。それで知ったのだが、このお祭りは地区内にある二つの神社(草苅神社、菅原神社)の神事とも関係があるようで、神輿は勿論、郷土芸能の鬼太鼓やつぶろさし、獅子舞などはみな神社への奉納行事なのである。

祭りのメイン会場は、商工会館前の広場で、そこは歩行者天国となっている県道を含めても、せいぜい100㎡ほどの狭い場所だった。何だか気の毒な感じがしたが、地元の皆が楽しむには、この場所が一番相応しいのだろうと思った。勿論この会場の他にも神社や地区内を練り歩くなどの出し物もあって、地区内全体が祭りのムード一色となるのである。

祭りといえば、太鼓や笛、それに「ワッショイ!」のお神輿は定番である。羽茂祭りでも祭り開始のふれ太鼓が地区内を歩き回り、神輿も大人だけではなく幼稚園児の可愛い神輿から、小学低学年、そして小学高学年の子供神輿が繰り出していた。中学生は集団演技なのか、地元の中学校の生徒たちが佐渡おけさを踊りながら地区内の大通りを流していた。また、大人が10人も入った胴長の獅子が、通りに面した家々を個別に訪問して舞いを奉納したりしていた。他にもいろいろの出し物があって、終日賑やかな祭りとなった。

それらの中で佐渡の風土に根づいた芸能として印象に残ったのが二つある。それは「つぶろさし」と呼ばれる土着の芸能で、神社への奉納行事の一つとして伝わって来たものらしい。もう一つは地元の高校生たちによる「佐渡おけさ」をはじめとする民謡や甚句などの踊りの披露だった。この二つのことについて思ったことを書いてみたい。

まず「つぶろさし」という妙な名前の土着の踊りだが、郷土芸能としてガイド書などにも紹介されていたが、それを見物するまでは、一体何のことなのか見当もつかなかった。後で知ったのだが、「つぶろ」という直径10センチほど、長さが1mほどの筒状の入れ物があり、これは農作物の種を保存するためのものだという。農家にとっては、最も大切な用具の一つとなるものであろう。この「つぶろ」を男性のシンボルに見立てて股に差し込み、その格好のまま、男と女の面を付けた二人の踊り手が、笛太鼓に合わせて、面白おかしく踊るのである。踊りの始まる前には、神妙に神主のお祓いを受けるという場面もあって、神事につながっているのだと思った。この一連の動きを見て、ああ、これは百姓の踊りだなと思った。真にえげつない踊りなのだが、豊作と子孫繁栄を願う百姓の人たちの思いがそこに込められていると思った。若い女性などには顔をそむけたくなるほど刺激的なのだと思うが、祭りとあって周囲の観客は皆楽しげに踊り手の動きを見ていた。

  

「つぶろさし」の踊りが始まる前には、神主さんらしき人によるお祓いのような神事が、獅子と一緒に行われていた。

  

つぶろを肩に担いだ男面の踊り手を、女面の踊り手が後ろの方から付け回すという風情である。滑稽というレベルを超えた動作を見るのはいささか疲れを覚える。

この「つぶろさし」には、地区内に①村山・鬼舞いつぶろさし、②飯岡・妹背神楽つぶろさし ③寺田・太神楽つぶろさし、の三つの保存会があって、それらが広場で順繰りに競演という形で舞いを披露するのである。それらの違いが何処にあるのかなど、さっぱりわからないけど、どの舞も長い間受け継がれてきた百姓魂のような、泥臭いけど逞しい、根性のようなものを感じさせた。しかし、終わり近くなると些か呆れた気分になり、もう結構と思うようになったのは否めない。何しろこちとらは老人なのである。

この「つぶろさし」のあくどい気分を一新してくれたのが、地元の羽茂高校郷土芸能部の皆さんによる、佐渡おけさをはじめとする民謡と踊りだった。佐渡といえば「佐渡おけさ」と言われるほど、歌も踊りも有名なのだが、佐渡に来てその本物を見たことは一度もなかった。あまり音曲に関心のある自分ではないのだが、折角二度も佐渡に来ているのだから、せめて一回くらいは本物の佐渡おけさを聴き、踊りなども見てみたいとは思っていた。しかし、それを見せてくれる場所も機会にも恵まれなかったのである。相棒は9年前に来た時、小木の観光会館かどこかで、夕刻に希望する観光客に佐渡おけさを見せてくれるというので、出掛けて行ったことがある。その時は観客が2~3人で、踊り手の方が多かったりして、さっぱり盛り上がらない雰囲気だったと嘆いていた。今回の旅でも、小木の港のたらい舟観光の箇所では、掛けっ放しの佐渡おけさらしき音楽が流れていたが、ただそれだけで、人は見当たらず、殺風景な景観があるだけだった。

それが、この祭りで初めて活き活きとした佐渡の民謡と踊りを見ることができた。佐渡(市)や観光協会は、観光の重要性を知りながら、郷土芸能の中でも核の一つともいえる、佐渡おけさなどの披露にさっぱり力を入れておらず、幾つかの祭りのほんの一部に組み入れたままで終わらせている感じがした。せめて月に一度くらいは、誰でもが楽しめる場を工夫して用意すべきだと思う。そのような疑念と不満がくすぶるなかで、羽茂高校郷土芸能部の皆さんの活動は、実にすばらしいと思った。踊りは相棒が親しく関わる世界で、自分には殆ど興味のないものだったのだが、今回の羽茂祭りでの地元高校生の皆さんの踊りを見て、珍しく感動した。滅多にないことである。

4~5曲が披露されたのだが、自分には皆おけさ唄と同じように聞こえた。これは自分の無知の所為である。勿論、踊りの方もそれぞれ違っているのだけど、同じ流れとトーンの中にあり、まさにこれは佐渡の郷土芸能だなと思った。踊り手は女子が殆どだったが、男子も何人かが加わっており、それが一層踊りを楽しく華やかなものとしてくれていたように思う。中腰姿勢のままで踊り続けるおけさの踊りは、相当に疲れるのだと思うけど、踊り手の皆さんは、自ら歌を口ずさみながら、真に楽しげに踊りそのものに没頭していた。相当に厳しい練習を積んできたのであろう。その成果が十二分に出ているのが伝わって来た。レコードなどに合わせて踊るのではなく、三味線も唄も全て高校生による手づくりのものなのも嬉しい。本物だなと思った。

  

三人の乙女による唄と踊りの披露。何という曲なのか判らなかったけど、小木か相川の民謡だったと思う。良く揃った洗練された踊りだった。

  

これも何という唄なのか判らなかったが、花笠を持っての踊りだったので、佐渡に所縁のある音頭だったのだと思う。乙女たちの手さばきは鮮やかで、見る者を楽しませていた。

  

これは部外者の自分にでも判る佐渡おけさの踊りである。踊りの始まりのシーンであり、このあと出演のみなさん全員が参加しての踊りとなったようである。

羽茂高校郷土芸能部は、全国高等学校総合文化祭に、新潟県代表として連続出場していて、今年も長崎で行われる大会への出場が決まっているとか。民謡や踊りに疎(うと)い自分などをも、これだけ感動させてくれる力があるのだから、今年は是非とも上位入賞の栄冠を勝ち取って欲しいなと思った。学内の部活に止まらず、現実に郷土の中に根づいた活動をしているこの高校生たちに、最大限のエールを送りたいなと思った。

高校生たちの芸能活動では、薪能の開演前に「仕舞い」が幾つか上演されるのを見たけど、それらは個人的な要素が勝っており、なんとなくとっつきにくい感じがした。羽茂高校の活動はそれとは違った、ずっとダイナミックなものだった。このような活動をもっともっと重視して育てて行くことが大切なのだと思う。授業で学ぶ学問も大切だが、人が現実を生きてゆくための力は、このような活動に打ち込むことによって培われてゆくものなのだと思う。市も観光協会も、この高校生たちに頭を下げて感謝すべきではないか。そして、もっともっと具体的な支援を行うべきだと、そう思った。

羽茂まつりの〆の草苅神社の薪能も味わい深いものだったが、この二つの郷土芸能との出会いも、大きな感動の拾いものだった。

コメント
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