山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

新幹線に乗る

2015-03-22 03:24:16 | 宵宵妄話

 何の話だ、と思われるでしょうね。文字通り、新幹線に乗ったという話です。

 先日、静岡県は藤枝に住む姪の結婚式が静岡市内の超高層ビルの中で行われ、それに出席して来ました。この年齢となると、甥や姪の独身者も少なくなり、計13名の内残るのは5名となりました。この頃は結婚年齢がかなり延びているので、全員が片付く頃まで生きていられるのかどうか、先ずは無理だろうなと思っています。

 この頃は遠出の際にはいつも旅車を利用しており、何年か前に今回の姪の姉の結婚式の時にも、旅車で出向いたのですが、今回は式場が静岡駅前の賑やかな場所にあり、旅車が止まれるような駐車場が見当たらないため、列車を利用することにしました。東京の中心エリアへ出向く時は、勿論TXやJRの電車を利用しますが、それも最近は年に2~3度くらいで、ましてや新幹線となると、守谷に越して以来一度も乗ったことがないという有様なのです。守谷に越したのが11年前で、それ以前の仕事での移動も、新幹線よりは飛行機の利用の方が圧倒的に多かったので、今回の乗車は15年ぶりくらいになるのかもしれません。

 3月14日のこの日は、丁度話題の北陸新幹線が金沢までの営業を開始した日であり、久しぶりに訪れた東京駅は、何となく混雑して騒がしい雰囲気でした。勿論、我々の方は北陸も東北も無縁で、一番古い東海道新幹線のホームに向かいました。予定していたのは静岡駅にも停車する「ひかり」だったのですが、いつものせっかちの性分が先を急がせて、予定よりもかなり早く東京駅に着いてしまったので、どうせ自由席なのだから、良いじゃないかと少し早い出発時刻の、各駅停車の「こだま」に乗ることにしました。静岡駅までは「ひかり」よりも30分ほど余計に時間がかかるとのことでしたが、1時間近くも早く出発するのですから、何の問題もありません。

 ということで、一番先頭に並んでしばらく待って、入って来た「こだま」に乗り込みました。ちょっとした旅の雰囲気です。右側の座席は2列で、左は3列でした。どちらに座るか少し迷いましたが、家内と二人のこともあり、それに富士山を見るのなら右側でなければダメなので、2列の方を選びました。その車両は、それほど混み合っているわけでもなく、50%そこそこの乗車率でした。ですから、どこに座っても何の問題も無かったのですが、一度座ると動くのが面倒なので、そのままで過ごすことにしました。

 旅の気分を味わうためには、ここで弁当を広げるとか、缶ビールで喉を潤すとか、何やらの食べ物などを引き出しての振る舞いが望ましいのだと思いますが、まだ10時を過ぎたばかりだし、これから先のイベントが結婚式なのですから、アルコールは止めておいた方が無難だし、幸いに車内販売も無いようなので、列車旅の定番的な振る舞いは一切無しの1時間半となりました。

 電車や列車に乗った時の私の一番の楽しみは、外の景色を見ながら観察と空想を楽しむことです。移り変わり行く車窓の景色は千変万化で、それらの随所に思いを絡ませて眺めていると、飽きることは無いのです。現役の頃、まだ航空機の利用が一般化されなかった頃の出張といえば、名古屋などの中間地なら特急や急行、遠地ならば寝台特急を利用するのが普通でした。東京から九州や北海道への出張は寝台特急を利用しても、目覚めた後にもかなりの長い距離を走ることになり、しばし仕事のことは忘れて、外の景色を楽しむことに集中したものでした。飽きないのですから、決して眠ることも無く外の景色を眺め続けたものです。我ながら呆れ返るほどの楽しみでした。

 ついでに告白しますと、近場の電車に乗った時の楽しみは、人間観察です。勿論、ラッシュ時の超満員の電車などではこのような楽しみなど皆無で、ただ苦しみに耐えるだけの時間となりますが、数名が立つ程度の乗車状況ならば、人間観察を楽しむことができます。しかし、この観察は要注意事項があります。それは決して見つめないということです。「ガン(=眼)をつける」ということばがありますが、これは相手の心に複雑な影響を与えることになります。それは、好意よりも悪意と受け止められることが多いようです。誰だって、ガンをつけられたらムカつくに違いないからです。ですから、人間観察はそれとなく行うのです。自分的にはこれは心理学の現場演習をしているのだと思っています。表情から所作、ふるまい、声、話の内容、持ち物、居眠りの様子、等など、その人の持つ様々な情報が入って来る感じがします。そして、電車を降りる時には、それらの全てを一気に放り投げて忘れ去ることが大切です。

 さてさて、今回の新幹線の往路1時間の旅は、何しろ15年ぶりの乗車なので、1分も無駄にしないようにと窓の外に意識を集中させました。品川駅に停まるのを経験したのは初めてでした。新横浜駅を通過しても、辺りの景観は変わらず、長短のコンクリートの構造物の合間に、マッチ箱のような家が坂も崖も切り崩して群れだって造られており、大都市のパワーの凄まじさというのか、それに引きづり込まれざるを得ない、人間の生きざまのようなものを感じて、少し複雑な気持ちになりました。自分自身も、かつて同じような暮らしの中にあり、今現在でも似たり寄ったりの環境の中にいるのですが、車窓から見ていると、主観を離れて客観的な、或いは傍観者的なコメントが浮かび上がって来るのです。 熱海駅を過ぎて、トンネルを潜り抜けても、島田から先の富士の裾野の海に向かっての広がりは、人間の暮らしの営みで溢れており、工場や人家で埋まっている景色が続いていました。それをしっかり見るようにとの思いやりなのか、富士山は雲の中でした。

 新幹線というのは改めてスピードが速いのだなと実感する間もなく、気がつけば間もなく静岡駅でした。「のぞみ」や「ひかり」に追い抜かれるための待ち時間がやたらに多くて、その時にだけ、街が近くに見えて、人々がそこに生きて動いているのを確認できたのでした。走っている間は、「こだま」であっても、そのスピードは他の列車とさほど変わらず、それゆえに客観的なコメントの景色しか感ずることが出来ないのです。文明が進めば進むほど、人は客観的なコメントを無視して、主観的な生き様に浸るようになって行くのかもしれません。

 さて、そのあとの結婚式については、これはもうプライベートなことなので書くのは論外です。

ところで、勿論結婚式が済んで、帰りも又新幹線に乗ったのですが、これは「ひかり」の方で、東京駅までは1時間ほどの乗車時間でした。乗車したのが19時半を過ぎており、この時間帯では残念ながら外の景色を楽しむことはできず、宴の酒に酔うままに、妙に空腹を覚えて大食し、家内の顰蹙(ひんしゅく)を買いながら、多少よろけつつ我が家に辿り着いたのでした。もはや、楽しみが失せると、客観性も主観性も失った只の老人と化したのでした。15年ぶりに乗った新幹線の感想でした。

コメント
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