山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

美しき土谷免棚田

2012-11-05 00:57:48 | 旅のエッセー

 長崎県と佐賀県との県境は幾つかの島で区分されている箇所が多い。福島という島もその一つで、これは彼の元寇時の蒙古の軍船が見つかったという鷹島の隣にある島である。ここは長崎県に所属しているけど、島に架かる橋の向こう側は佐賀県で、今は肥前町から唐津市になってしまっている。平成の大合併で、この頃は旅先の自治体の名前を確認するのが難しい。ま、県境などを気にするのは、人間の世界だけの話で、鳥や魚たちにとっては、そんなことはどうでもいいことである。そして、実のところ旅人にとっても鳥や魚たちと同じ気持ちの方が大きい。

 この福島に棚田があるというので、是非行ってみたいと思った。土谷免という地区にあると聞いていたので、そこを目指すことにした。佐賀県側からの橋を渡ると福島町である。福島町は合併で現在は松浦市に属しているようだ。海岸沿いの道をしばらく走って少し山手の道に入ると、登りが次第に急となってきた。棚田というのは下から見上げたのではその偉大さをなかなか実感できない。やはり上の方に登って、全体を俯瞰しないとその大きさが判らないのである。ところが車で行く場合は、棚田が見下ろせる位置に車を停めるのは難しい場合が多い。どんな棚田でも道が細いことが多いからなのである。そのような時は、下の方に車を置き、あとは歩いて上まで登るしかないのだが、老人にはこれは結構きつい。さて、ここはどうなのだろうかと、少しばかりの期待と不安が入り混ざっていた。ところが道なりに上って行くと、いつの間にか棚田の上に出たのだった。そこには駐車スペースもあり、真に恵まれた棚田鑑賞の場所があったのには驚かされた。ありがたかった。

 海からの標高差はどれくらいなのだろうか。この駐車場までは100mくらいなのか、斜面に幾重にも重ねられた田んぼは30段近くもあるかと思われた。4月初めという時節なのに、幾つかの田んぼには水が張られており、はや田植えに向けての準備が開始されているのかも知れない。温暖な気候が幸いしているに違いないなと思った。

   

福島の土谷免棚田の景観。向こうに見える近くの島は、右手が飛島、左が小飛島。その向こうに見える長い島影は鷹島か。春の陽光の中に棚田も海も膨らみんで輝いて見えた。

 いやあ、その景観のなんと美しいことか! 全国に幾つかの棚田を訪ねているけれど、今までこれほど美しい景観を見たことはなかった。何が美しいのかといえば、海の景色との調和なのである。棚田の裾には白い砂浜が横たわり、傍にはマリンブルーの海が輝き、その向こうに幾つかの島々が緑の冠を被って点在している。今日は格別のいい天気で、春の陽光がそれらの景観を一層引き立てていた。駐車場脇の掲示板に、この棚田は取り分けてその夕陽に映える様が美しいという写真入りの案内があったが、日中の景観も称賛に値するものだった。しばらくその美しい景観を味わった。

「耕至天」という言葉が好きである。耕して天に至ると読む。大地をコツコツと耕して、やがては天に近い場所まで耕し尽くすという意味だと思うが、その中には大変深いものが含まれているように思っている。天は天体の天ではあるけど、単に物理的な意味合いだけではなく、天命とか運を天に任せるなどというように、より絶対的な存在をも意味することにつながっていると思う。そして、耕すのは大地だけではない。己自身を耕すということにもつながっているのだ。耕して耕し続けてゆけば、その弛まぬ努力は、やがては絶対的な天までを動かし、そこにたどり着くことができる。自分はこの言葉をそのように思っている。

 大自然の中に生きる人間が、「耕至天」を実現している姿が棚田だと思っている。棚田を見ていると、そこに長年にわたって営々と積み上げた祖先・先人たちの暮らしの思いを感ずるのだ。人間という生き物の無限のエネルギーというか、前進する力の逞しさを覚えるのである。今では、棚田というのは、時代遅れの耕作地くらいにしか思われていないのかも知れない。しかし、そのような現在から過去を見下ろすような態度では、棚田の秘めた歴史の深さを知ることはできないし、人間の本物の逞しさも知ることはできないのではないか。そして自分自身を深く耕すこともできないのではないか。そう思っている。ところで、今自分自身はどの高さまで己を耕して来ているのか、この美しい景観を味わいながら、天が遠いことを改めて感じたのだった。  (2012年 九州の旅から 長崎県)

コメント
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