山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

810ルーメン

2012-02-21 00:01:56 | 宵宵妄話

 

今週(=2月第3週)はそのほとんどの時間を、我が家の前庭に鎮座まします旅車(=SUN号)の中で、一人暮らしました。風邪のための自主隔離独居です。旅車は家で使っている電源をつなぎさえすれば、もうそれだけで立派な1DKの個室として使えるのが魅力でもあります。TVもビデオもOKです。水道もガスも大丈夫。喫食もトイレ(大の方は別)も本家に行く必要はありません。もちろんパソコンもネットもメールも何の支障もありません。小うるさい山の神も、風邪の伝染の危険を感じて近寄りません。束の間の天国の味わいなどと言ったら、天国から締め出されてしまうのでしょうか?

 

昨年の大震災後、キャンピングカーが世に注目されたというのも、単なる贅沢品でないことに気付かれた人が多いのも、首肯できることです。キャンピングカー(私的には、そのような呼称は誤りであり、これはモーターホームと呼ぶべきものであって、旅車であると思っています)という自動車の一種が、その有効性や可能性に注目されたのは、真に喜ばしいことです。本来日本人であれば、もっと早くそのことに気付くのが当然ではないかとも思ったのでした。

 

世の中には、定年間近になって、退職金をはたいて一生の記念のつもりで高級乗用車などを買う人もおられるようですが、人生の最後にベンツを乗り回したいなどと本気で考えている人は、大病で明日の命も覚束ないことを覚悟した人よりも、もっとお気の毒なように思います。真に以て余計なお世話でありますが、そのような高級車よりも中古の旅車を手に入れて、折角のこれからの人生をちょっぴりくるま旅などという奴を楽しんでみようか、と、そんな夢の実現にチャレンジする人にこそ、私は大いなるエールを送りたいと思います。

 

車などというものは、所詮ツールに過ぎない(これには異論のあることは承知していますが)のであって、人生というのはどんなにお金のかかったツールを手に入れたとしても、それだけでは満たされないのが普通ではないかと思えるのです。より大事なのは、ツール(=手段)を得た先に活き活きと取組める目的があり、目標があるということなのです。巨額を投じてツールを手に入れた先に、もっと大きな目的や目標がある場合は別として、その欲望充足(=満足)の先にあるものが霧の中だとするなら、私はボロの旅車を手に入れて、ワクワクしながら日本一周の旅への夢を膨らませている、その様な生き方にこそ大いなる価値があるように思っています。その様な夢を見ながら、在宅の一日をその旅車の中で過ごして、改めてボロ車の素晴らしさを自賛するというのも、これまた人生の楽しい時間ではありませんか。

 

さて、今日はその我が愛すべきボロ車の空間が、少し暗かったので照明を取り替えたという話です。入居した日から6日経つまで、ずっと曇天と雨と、時には雪までもが落ちてくるという悪質な空模様が続きました。晴天ならば、夜が来るまでは車内の照明の様子など気にもならないのですが、連日が終日の暗さに包まれた中で、病に取り付かれてジッとしている身には、照明の暗さは決して放置してはおけない問題なのでした。

 

この頃は、旅車の照明もLEDを活用することが当然となってきています。多くの旅車のオーナーの皆さんは、自ら腕をふるって思い思いに照明を工夫されて取り付けられていますが、頭も腕もない只の運転手に過ぎない私には、車の配線を構うなどとんでもないことなのです。とてもその様な大それたことを行なう気にはなれず、さりとて旅の間の電源確保が難しい現状では、バッテリーの許す範囲の中で旅の間の暮らしを成り立たせるために、ソーラーを取り付け、せめて照明くらいは何とかLEDに切替えねばと考え、思い立ったのが、普通のソケットを買って来てインバーターとつなぎ、その先にLED電球をつけて天井から吊るすというやり方でした。さすがに裸電球では生活が少し惨め風なので、ソケットにカバーの傘を被せるくらいのことは施したというわけです。これは半年ほど前に思いついて行なったことでした。その当時はLED電球もかなり高額でしたので、とりあえず夕食とパソコンが使える程度の明るさならば、ま、いいか、とせいぜい40W程度のものを取り付け、そのままにしていたのでした。

 

ところがこの度の独居暮らしでは、夜寝るだけではなく昼間もこの中で過ごすことになり、これじゃあ、何とかしなくてはならんと思ったのです。それで、体調のやや回復したのを見計らって、近くのホームセンターへ電球を買いに出かけたのでした。いずれもっと明るいものに替えなければならないと考えて、時々LED電球の普及・販売状況を幾つかの店に寄って調べていたのですが、記憶の中ではそのホームセンターで扱っているものが、同じ性能では格安なのでした。その電球は810ルーメンの電球色で、価格は1980円でした。これは同じものを家電の大型量販店で買う場合の半額近い値段なのです。この価格差のカラクリがどんなものなのか、よく解りませんが、深入りするよりも取り敢えずは喜んでおくことにします。

 

で、今それを取り付けてこれを書いているわけなのですが、まあ、今までと較べたら、随分と明るくて快適となりました。私という奴は、田舎の貧乏育ちなので、本来のケチな性分は如何ともし難く、3ヶ月ほど前から1980円のLED球に心惹かれながら、手が出せないまま迷い続けていたのでした。現役時代は、貧乏根性を覆うべく、新し物好きを装い何でもそれを試そうという動きが人一倍強かったのですが、この頃は年金暮らしに染まり果ててしまったようで、その昔の田舎育ちの本性がしっかりと再生の道を歩み出したのを自覚しています。

どうも話が勝手に要らぬ方に揺れ動き出すので、我ながら困ってしまいます。今日言いたかったのは、とにかく思い切って少し高価なLED電球を手に入れたことに関して、そこに書かれている「ルーメン」というこの変な明るさの呼び方についてなのです。

 

「おりゃあ、そんな言い方なんぞ知らんぞ。明るさといったら、おまえ、ワットとかルックスとか言うのが普通じゃないのか。」

「この頃はどういう風の吹き回しか知らんが、食べものでもないのに、ラーメン、あいや、ルーメンだなんて、一体今頃の電気業界ってのは、どうなってんだ。パソコン言葉だけじゃなくて、明るさまで別のカタカナ文字に変えようってのかい。コリャなんかの陰謀なんじゃないか?」

「おい、電気業界だけじゃないぞ、天気予報だって、いつの間にか気圧の単位がヘクトパスカルになっちまったじゃないか。俺達が育った頃は、確かミリバールてのが常識じゃなかったか。それがどうだ、あれ、何か変だぞ、などとこっちがもたついている間に、今はもうすっかりヘクトパスカルてのに収まっちまったじゃないか」

 

等など。まあ、斯様な疑問を心の奥に溜めて、己の無知に蓋を被せたようで、どうもスッキリしない思いを抱えた老人は、世の中に結構多いのではないかと思うのです。何てったって、私自身がまさにそうなのですから。同じ暮らしの空間を照らす光の明るさなのに、何で突然今までと違った明るさの単位のようなものが飛び出してくるのか解せない、まことに解せない。とまあ、こういうわけなのです。

 

それで早速ネットという奴で、ルーメンなるものを調べてみました。いろいろ解説が載っていました。しかし、それらを読んでいると、今度はもう、もっと大変なことになりました。そもそも光という奴が何だったのかが、それを理解していないということに気づかされたのです。光そのものが解らないのですから、ルーメンなんてものが理解できるはずがありません。ルーメンというのは、「全ての方向に対して1カンデラの光度を持つ標準の点光源が1ステラジアンの立体角内に放出する光束」と定義される、などと書かれているのですが、こりゃあ一体何のことなのか。ほんとに光のことを言っているのか。益々己の不明度が増すばかりの感じです。専門家の常識の始まりのような知識がそこに得意げに羅列されているような感じを受けたのでした。(これこそが老人の証なのですが)

 

今日買ってきた810ルーメンというLED電球の明るさが、今までの100ワットや60ワットの電球、或いは蛍光灯の電球の明るさとどう比較できるのかなどということは、この定義を読んでも何一つ解決されないどころか、何の理解の足しにもならず、頭の中は益々混乱するばかりです。光源は理解できても、光束、光度に加えて輝度、照度等などの言葉が入り乱れてくると、これはもう一々確認のノートなどを記してみる気にもなれず、せっかち老人のイライラは、探究心を暴発させて何処かへ吹き飛ばしてしまうのです。

そもそも世の中というのは、アバウトで支えられて持っているのに、何で今頃になって妙に正確な用語が、しかも国際レベルで出現してくるのか、やっぱり解せないのです。ワールドワイドとかグローバルとか、もはやそれが当然の世の中に暮らしていることを思えば、己の無知や理解力の欠如を棚に上げて、横着振りを声高に強調したところで、滑稽の一語に尽きるのですが、老人のプライドは、やっぱり依然として失敗体験が積み上がるのを許せないのでありました。

 

風邪の鬱陶しさからようやく開放されて、今日はこの特別個室の空気を入れ替え、夜でさえも明るさを増した810ルーメンのLED球の光の下で、全面的に気分も入れ換えて、さあて、明日は先ずはラーメンでも食って体力の回復を図るとしましょうか。ホイ、だけど糖尿や動脈硬化には、ラーメンよりもやっぱりルーメンの方が有効のようですぞ? まあ、老人というのは、このように万病の巣窟の中に生きているようですな。ハイ。お退屈様。

コメント
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