無意識日記
宇多田光 word:i_
 



あんれま、Netflixの『LSAS2022』、『Find Love』と『Face My Fears(English Version)』にヒカル本人の手による日本語訳字幕がついてると! Twitterで情報呟いてくれた人どぉもありがとう。

これは『Find Love』の歌詞を読み解いていた身には朗報以外の何物でもないですわ。いやまーね、何より本人訳ということで、今後はどうしたって「これが正解」っていう雰囲気が圧倒的になっちゃうとこなんだけど、「どこかの段階では“正解”を発表してくれた方がいい」というのが私の価値観なので、そのタイミングがここだったというだけの話なのです。しかし、お陰でライブアルバムと日本語訳の答え合わせと両方同時に楽しめちゃって私もう脳が完全に今「盆と正月がいっぺんに来た」状態になってまして、いやはやこれはどこから何を綴ればいいのやら。


うむ、ひとつひとつ行こう。というわけでiPodにNetflix版をダウンロードしつつ字幕をチェックしたんだが、なるほど、同じ機械で聴くとApple Music/iTunes Storeで手には入る音源のサウンドとNetflix版映像のサウンドが全然違うのがよくわかるよ。いやこれもう完全に別ミックスだね。

同じApple Musicの中でなら通常音質の音源とハイレゾ音源ではマスタリングの方向性が近いので印象は似通う。勿論解像度や空間の広さは全く異なるのだが、その昔『First Love』をハイレゾ・リマスタリングした時のようなサウンドコンセプトの違いはないようだ。いやこれ、他のサイトのハイレゾとも聴き較べてみなくっちゃだわね。

ipodにダウンロードしたNetflix版映像は恐らく最低音質のものだろうからそのまま比較するのは本来無理筋なのだが、それでもやはりサウンドデザインそのものが異なる。並べて聴いたら同じテイクだとは俄には気付けない程違う。万が一「LSAS2022はもうBlu-rayで観たからいいや」と配信音源に手を出していない読者様がいらしたら、騙されたと思って一度聴いてみて欲しい。それは間違いなく新鮮な体験になるはずです。

そしてまた日本語訳字幕を見ながら英語歌詞の歌を聴くのも新鮮な体験だわね。いやそりゃ『Laughter in the Dark Tour 2018』もそうだったじゃん(日本語英語逆だけど)、て言われそうだけどあたし書き起こしてくれたものを貰ってそれに頼ってたから、あんまり読みながら聴くってやってなくてな…結構久々だったのよね。まぁそんな個人的な事情はさておき。

日本語で意味を頭に入れつつ英語の歌のグルーヴを楽しむ、という結構難儀な聴き方をし、それを噛み締めながらその字幕を書き起こしていると、ヒカルの作詞に対する理解がまた一段深まった気がするぜ。それが単なる気のせいだったかどうかは…今夜それを書き始めると長くなりすぎるのでそこらへんは来週に譲りたいが、いやほんと、また個人的なことに過ぎないけれど、『Find Love』の歌詞を読み解きながら『LSAS2022』のリリースを迎えて本当によかった。無意識日記の過去ログを読みながら「ここは合ってた」「ここは違ってたなー」とかって言えるもんね。なんだろう、こんな体験をさせて貰えるの、有り難いとしか言いようが無い。わざわざ新しく日本語訳を書き下ろしてくれたヒカルと、どなたか存じ上げないがヒカルに日本語訳を書いてくれと提案した人に深く御礼申し上げたい。どうもありがとう。

いやしかし、ここまで楽しめる内容になるとは、リリース前は正直思っていなかった。いや、誰よりも「ライブアルバムのリリース」に関しては歓喜歓待してるつもりだったんだけどね! まだまだヒカルのこと侮ってるのかな~ようわからんわ。


もう1日4回更新に変えたいくらい書きたいことが溜まっているのだけど、取り敢えず今夜の所はここらへんで切り上げときます。だって、ヒカルさんも

『焦らないで、急いでも
 辿り着ける場所じゃない』

って歌ってるんだもんね!




どうでもいい追伸:その『急いでも』のところの原文、

『Slow down, you won't get there by hurrying』

なんだけど、最後の『hurrying』の部分が初めて聴いた時からずっとどうしても“Korean”にしか聞こえなくてね。で、この度Google Chromeの自動字幕機能が歌にも反応することに気付いて聴かせてみたんだが、3回やって3回とも『by hurrying』の部分は“By Korean”になったわ!(機械の聴き取りにも揺れがあって2回以上試すと時々違うのだ) やっぱここ機械(AI?)にも"Korean"って聞こえるんだねぇ…と妙に納得。皆さんはどうですか?

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こうやってスタジオ盤の『BADモード』と『LSAS2022』を聴き較べてると、同じ楽曲でも随分と送り手側受け手側双方の意識が異なることがわかる。演奏メンバーはかなり重なっているのにも拘わらず。

スタジオ版というのはいわば宇多田ヒカルの脳内を覗いているようなもので、サウンドは目の前に拡がる景色だ。ひとつひとつの音が要素となって全体の風景を象っている。一方、スタジオライブ版の方は、出音ひとつひとつが1人の人間の存在を示唆する為、風景に奉仕しているというよりは、ひとつひとつの音がコミュニケーションをとって、全体としてネットワークを形成しているように見える。スタジオ版の主軸が「受け手側の感じる意識(その人の脳内に浮かび上がる風景)」ひとつに集中しているのに対し、スタジオライブ版では主軸が「ひとりひとりの演奏者」にフォーカスしているように受け取れる。主軸が幾つもあってそれらの繋がりで形成されているイメージだ。

そうなってくると、ヒカルのヴォーカルもその中のひとり、という意識が立ち上がってくる。特に、センターマイクの前に立ってひとりだけ声を出しているというのは大きい。相変わらずバックコーラスは録音した自らの歌声を再生しているのだが、スタジオ版では総ての声部が渾然一体となって全体の音像の印象に貢献していた一方、このスタジオライブ版では、真ん中のヴォーカルが今目の前にいるたったひとりの歌い手であり、録音再生しているバックコーラスはその添え物に過ぎないという明確な「主従関係」が在する。どれだけ声を重ねても主役はひとりなのだとスタジオ版よりも高らかに主張している感じ。

故に、映像無しで音だけで聴いていても、「目の前に宇多田ヒカルが居る」という感覚が、スタジオ版のそれと較べても圧倒的に強い。更に先述の通りエコーをはじめとした種々の声の加工は最小限に抑えられている為、その生々しさは思わず息を呑むほどである。

そこには呼吸がある。歌以外で明確なのはドラムとパーカッションだろうか。他の楽器以上に、そこに人が居て熱と息を吐いてカラダを動かして叩いているイメージが明瞭に運ばれてくる。このボトムの強さとリアリティはスタジオ版にはなかった。や、いちばんリアリティがあった『気分じゃないの(Not In The Mood)』が演奏されてないから、比較するのはフェアじゃないんだけどね。

斯様な事情がある上で、彼らは彼らで演奏上のコンセプトを「あの複雑怪奇なスタジオ版のアレンジをどうやって極力人力のみで再現するか」に設定している為(端的に言って変態ですね)、彼らがアレンジに成功してスタジオ版とスタジオライブ版の楽譜上の相同が強調されればされるほど、よりそのスタジオライブ演奏という形式の醍醐味がシンプルにクリアに浮かび上がってくるという構図になっている。これに「皮肉にも」という枕詞をつけるのもいいが、寧ろよりこの企画の意義が強調されてよかったと言った方がいいかもしれない。

いつもは「またバックコーラスが録音か」と溜息をつく私だが、この、職人達の本気の「スタジオ版アレンジ人力再現」への情熱によって、ヒカルの真ん中のたった1本の歌声がより強調される結果となり、なんだろう、添え物化したバックコーラスに可愛らしさを感じてしまって結構気持ちがいいのです。それだけセンターでの歌声が素晴らしいってことなんだけど、ホント何度聴いても魅力的なライブアルバムですわ。

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