無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ほぉ、『LSAS2022』がiTunes Storeで3位、moraで1位2位のワンツーとな。1位がハイレゾで。そういやAppleさん、ストリーミングでは追加料金無しでハイレゾが聴けるのに、iTunes Storeでは相変わらずハイレゾ買えないのね? どういう作戦なんだかな。DRMフリーで売ってくれたらこちらも有り難いんだが。

ということで、配信サイト限定とはいえ、しっかりと宇多田ヒカルの新譜新作としてのアピールは叶った模様。やっぱ音源となると今までとは異なる層にもリーチすっからね。ここはいいプロモーションのチャンスだった訳だ。あんまりにも直前過ぎる告知になったのだけど、上手く体裁が整った感じだねぇ。

しかし、ホント音源として手元にあるのは気分がいいよ。音そのものは円盤で持ってるとはいえ、この気分の違いを味わえただけでも音源配信した甲斐があったというもの。ほら、外で食べるカップヌードルって妙に美味しいじゃない? 家で食べても同じ味の筈なのに。あの感じよな。これホント、

“Hikkiと 歩ける暮らし いとをかし”

ですよ。(©️@kukuchang)

https://twitter.com/Kukuchang/status/1534733477110640640


(…カップヌードルに限らず、「外でお弁当」ってそれだけでウキウキするもんなぁ。)


っとと、いや音源配信は気分だけの問題じゃないよ。ちゃんと実効的な面もある。こうやってスタジオアルバムと並列で聴ける事で容易に各バージョンの比較が出来るんだ。『BADモード』と『LSAS2022』の同じ曲を交互に組んだプレイリストを作って聴き較べとか実に楽しい。何より楽ちん。

長年のiPodユーザーなのでiPod Classicの昔からポケットにライブコンサート映像まるごとポケットに入れて持ち歩いてた訳だが、これで聴き較べするってのが随分手間がかかってね。結局ipod内で切り替えるより隣にWALKMAN持ってきてイヤホン刺し替える方が速かったからね。(←意地でも外でそういうことしたい人。まぁお陰でこの日記が書き上がるんだけど。) それを思い出すと、この手元の『LSAS2022』のページを開く度にニマニマしてしまうのも仕方がないんですのよさ。

…何の共感も得られない方向に話が逸れたな。そんくらい今楽しんでますよってことで。

しかし、いやはや、今まで映像にどんだけ引っ張られてたんだかって事を痛感中。ヒカルさんの顔ばっかり(&ガラスに映った後ろ姿)を観てたんだろうね。全然気づいてなかったサウンドや歌い方の差異がありありと浮き上がってくる。最早「これ聴き慣れたLSAS2022だよね?音差し替えてないよね?」って訊きたくなるくらい。前にマガーク効果の話をしたが(詳しくはググってね)、人の聴覚は容易に視覚に撹乱されるのだなと。

その観点に立ってみると、いやぁ、宇多田さん、、、歌、上手いね!

…って過去二十余年この地球上で10億回くらい言われてきたセリフがまず浮かんできてしまったのです。いやね、そりゃ『BADモード』アルバム本編でもヒカルの歌声の素晴らしさは痛感してたし、LSAS2022の映像でも甚く染み入っていたのだが、こうやって修正無しでマイク1本の前に立って1時間歌ってる人の声の連なりを耳にしていると、人が生きて声を出してる記録だなぁ、と今更乍らに思えてきて、いやこんな無編集な記録に、ここまで情感を込められるもんなんだなと。スタジオのレコーディングみたいに、気持ちが高ぶってくるまで時間を掛けるなんてことをする暇も無いし、大会場でのコンサートみたいに何万の観衆の歓声でアドレナリンが漲ってる訳でも無い状況でこのパフォーマンスをやったのかと、純粋な音に触れながら幾度となく感嘆し続けてしまった。いやはや、凄い歌手だわ。

またこの配信音源のミキシングが手加減無しでね。センターヴォーカルのエコーが極力抑えられていて、まるで耳元でヒカルが歌ってるみたいな臨場感。逆に言えば何の加工も出来ない素の歌声のみを届けてくれてこうなんだから、いやぁもうホント、凄い。

ただ、こうやって聴くと、その生々しさ故か、ところどころ元気が無いというか、覇気で押し切らずに丁寧に歌うことを心掛けているように感じるのは、やっぱりメイキングで語ってた通り、声が出せなかった時期の影響かもしれんね。…いやよくコーチェラ出たよなっ!

そんな風に考えてみれば、これもまたヒカルにとっての『Just One Of Them Days』、日々続く日常のうちの1日を切り取ったような記録音源みたいなものなのかなぁと。ヒカルが『去年の配信ライブ』と呟いていたのもよくわかる。ヒカルにとってはこの音源は紛れもなく2021年のある日の記録に基づいているのだ。そういう意味では、それこそ『気分じゃないの』の歌詞が“2021年12月28日の宇多田ヒカル”だったように、『LSAS2022』も「ある日の宇多田ヒカル」なんだなと。「Hikkiと歩ける暮らし」ってのは、ほんと、言い得て妙だし、幸せなんだなってしみじみと噛み締めている所でございますのよ今。

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ふおぉ、遂に宇多田ヒカル初のライブアルバム『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios』、通称『LSAS2022』がリリースになった。誠に、誠に感慨深い。リリースに尽力してくだすった皆様に深く深く御礼を申し上げたい。どうもありがとう。

まぁ“ライブアルバム”といっても、スタジオでの生演奏を収録したものなので例えば諸々の名盤たる「LIVE AT BUDOKAN」みたいな華やかさは、ない。MCも歓声もなく淡々と進んでいく内容だ。しかし、過去には例えばザ・ビートルズやレッドツェッペリンなんかたちによる「BBC Sessions」のように、スタジオ生演奏を主軸にした作品が“ライブアルバムの名盤”として持て囃されてきているのだから、名門Air Stuidiosでのスタジオライブもまた“ライブアルバムの名盤”と呼ばれるのに何の支障も無い。

ヒカルが『Animato』で

『BBC Sessions of LED ZEPPELIN~♪』

と歌ったように、半世紀後とかに誰かが

『Live Sessions of Utada Hikaru~♪』

と歌ったとしても何ら不思議ではない。うまく乗るメロディー全然思い付かない歌詞だけど。


とはいえ、「映像作品が今年の1月と2月にもう出回ってるじゃん。それと音は同じなんでしょ? 寧ろ絵がない分、物足りなくない? そんなにはしゃぐこと?」という声が聞こえてきても、それもまた不思議ではないよな。蓄音機やレコードしかない、映像作品として売るにはコストが見合わなかった大昔とかならともかく、安価なDVD/Blu-rayや映像配信で幾らでも映像込みのライブセッションを楽しめる時代に、ライブの音だけのモノを持て囃す理由ってある? うむ、至って真っ当な疑問だろう。

寧ろ逆なのだ。音だけを切り取っているから、逆に作品性、作品としての価値が高まるのである。

例えば、写真。目の前に全く同じ風景が拡がっていても、素人と写真撮影の専門家ではそこで生み出せる作品(写真)のクォリティーはまるで違う。どの時間、どの場所でどんな光の許、どこからどこまでを切り取って四角い枠の中に収めるのかで、結果残る作品は全然別のものになるのだ。要は「切り取り方」こそが作品性だ。

ライブ音源も同じである。「スタジオ生演奏」という“現実”を目の前にして、それをどう切り取って作品として残すか、となった時に映像と音源を同時に編集したものと、音源のみを取り出したものでは作品としての性質がまるで違うものになるのだ。いわば「スタジオ生演奏」は作品のための素材でしかない、とまで言えるのである。

ヒカルがフィクションも現実も同じく等しく歌詞の素材として扱うように──とまで言うと言い過ぎだけど、今回のLSAS2022の制作とリリースも、昨年2021年11月にAir Studiosで起こった「スタジオ生演奏」という“出来事”を素材に作り上げたひとつの新たな宇多田ヒカル名義の作品なのだ。もっと踏み込んでいえば、『One Last Kiss EP』と『BADモード』に引き続く、音楽家宇多田ヒカルによる「ニューアルバム」なのだと言って差し支えない。そのつもりで楽しむのがベターだろう。

いやまーね、@hikki_staffとしては、素材とはいえ同じ音の有料配信とCDバンドルを発売してる手前、大々的に「宇多田ヒカルの新譜が出ました!」とは宣伝できないだろうて。しかし我々リスナーはそんなことはお構いなしに、この緊急発売ともいえる新譜を、白昼堂々(勿論夜間も)楽しむ事に致しましょうぞ。サブスク入ってない人もダウンロード販売あるから検討してみてね。勿論、ハイレゾでも売ってるよ!

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