無意識日記
宇多田光 word:i_
 



で。先週触れた

『Find Love』の和訳字幕で
『(un)til I find love』という歌詞が
日本語に訳されてる所と
日本語に訳されてない所が
両方存在する問題

について語るか。
予告通り、ややこしいぞ?


結論からいえば、納得の出来る理由は思い付かなかった。幾つか考えた説明も不可能三角形というか、あちらを立てればこちらが立たず的で決定打に欠けるというか。

そんな中で、説得力は薄いがシンプルに説明できる仮説を記しておく。

「単なる音として扱ったパートは
 英語のままにした。」

これな。


日本語に訳してあるのは例えばここ。

『So I gotta watch out
 Who I share my affection with
 Until I find love
 Cuz I'm way too affectionate
 Not gonna park my desire
 'Til I find love
 'Til I find love
 'Til I find love』

字幕はこうなってる。

『だから気をつけないと
 どんな人に愛情を分け与えるか
 私が愛に辿り着くまでは
 だって私は愛情を持て余してるから
 欲求を駐車するつもりはない
 私が愛に辿り着くまでは

 私が愛に辿り着くまでは』

御覧の通り、『(un)til I find love』は軒並み『私が愛に辿り着くまでは』と訳されている。

他には、こちら。

『Slow down, you won't get there by hurrying
 Gonna find out if the hard work was worth it
 I know it's somewhere in me
 I'm just tryna find love
 Just tryna find love
 Just tryna find』

ここでは"(un)til"ではなく"just tryna"が前に来るが、『find love』というフレーズが含まれてる点では同じだ。

ここの部分の字幕はこう。

『焦らないで、急いでも
 辿り着ける場所じゃない
 努力の甲斐があるほどのことか、
 確かめてやる
 私の中のどこかにあるって
 分かってる
 ただ愛を見つけようと
 してるだけ

 ただ愛を見つけようと
 してるだけ』

つまり、『just tryna find love』も、『ただ愛を見つけようとしてるだけ』とこれまたしっかり日本語に訳されている。

だが、ランニング・タイムにして[3:28~3:46]にあたるこちらのパート、

『Every day of my life
 Find love, 'til I find love, 'til find love
 Find love, 'til I find love, 'til find love
 Every day of my life
 Find love, 'til I find love, 'til find love
 Find love, 'til I find love, 'til find love
 Every day of my life』

ここの字幕はこうなのよ。

『毎日はイヤ
 Find love, til I find love, til I find love ...
 毎日はイヤ
 Find love, til I find love, til I find love ...
 毎日はイヤ』

そう、『Every day of my life』は『毎日はイヤ』としっかり日本語に訳されているのに、『til I find love』は英文のまま字幕になっているのです。

何故こんなことになっているのか、を推理してみると。

上述の『(un)til I find love』や『just tryna find love』は、メイン・ヴォーカルによって歌詞のメッセージとして文章の中で意味を持って発せられているフレーズになっている。それに対して、『毎日はイヤ…』のパートでメイン・ヴォーカルによって歌われているのは『Every day of my life』の方のみで、『til I find love』の方はバックコーラスとして呪文のように何度も繰り返すものになっている。

なので、リスナーからすると、『til I find love...』のバックコーラスは、メッセージというよりサウンドの一部という聴かれ方をするパートな為、敢えて意味を押し出さない為に日本語にせず英語のまま残したのではないだろうか。

メイン・ヴォーカルとバックコーラスの区別。スタジオ・バージョンでは渾然一体となっていてわかりづらいが、LSAS2022の方ではかなりわかりやすいのでそちらで聴いてみるのがよいだろう。


とりあえず、推理は以上なのですが。余談を一つ。


そもそもね、この『Every day of my life』と『til I find love』がくるくる回って歌われる[3:28~3:46]のパートって、日本語版の『キレイな人(Find Love)』でも全く同じなのよね。試しに『Find Love』の[3:28~3:46]と『キレイな人(Find Love)』の[3:28~3:46]を聴き較べてみるといい。私は全く区別がつかなかった。恐らくだがパート丸ごと流用なのではないだろうか。

流用というと聞こえは悪いが、必要のない労力を割くくらいなら他にリソースを回すのはプロデューサーとして必要な措置だろうから私は「賢い」と讃えたい。

だが、もしかして?と思う点がひとつあるのです。あれですよ。

『BADモード』の歌詞カードで
『キレイな人(Find Love)』の
歌詞の後半が丸ごと抜けてた問題

ですよ。

※ こちらのツイートを参照のこと。
☆ thanks to @Kukuchang
https://twitter.com/Kukuchang/status/1519170316227862528

これ、なんで抜け落ちてたかっていうと、レコーディング時にヒカルが自前で用意してた歌詞がそこまでしかなかったからではないかなぁと推測する次第です。後半の英語歌詞は『Find Love』とまるごと同じなので、レコーディング時に使われずそもそも必要がなかった。そういう状態の下書きか何かをそのまま完成した歌詞として提出してしまってこうなったんではないかなぁ、とね。

ある意味今回、Netflix和訳字幕を書き下ろすことで、ヒカルもそこらへんを気持ち的に埋め合わせた面もあったんじゃないかなと勝手に思うのでありましたとさ。

ま、これだけだと『教室の誰も…』とかの日本語パートまで欠落してた理由は説明つかないんだけどね!



…随分話が逸れたな(笑)。でも、我々のみならず、ヒカル自身も英詞と和詞と和訳の関係に混乱していたのかもしれないと思ってみると、ちょっとは気が楽になるんじゃないですかねー?

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暑いねぇ。まだ6月なのにこちらの今日の最高気温は35℃予想だと。真夏日通り越して猛暑日かいな。こんな時の月曜日の朝から歌詞の話して難しい顔してるのも私がキツいのでのんびり思い出話など。

とはいってもこの日記、「その時のこと」が後から幾らでも読めるので、同じ事を繰り返し書く気はあんまりしない。文章の導入で「以前言ったことを踏まえる」ってことはかなりあるけどねぇ。それも読みやすさの為だしね。ただでさえ普段から読みづらい文体なのだし。

13年前、2009年の今日は「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の公開日で同時に『Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-』のリリース日だった。2007年「序」の時は何ヶ月も前から主題歌『Breautiful World』が宣伝されていて満を持しての映画公開だったが、この「破」の時は長らく主題歌情報はなく、公開直前に主題歌は宇多田ヒカルと公表されて、更に曲名が明かされたのは公開当日だった。

2009年上半期といえば、ヒカルがUTADA名義で『This Is The One』を、宇多田ヒカル名義で『点』『線』をほぼ同時リリースする中で5月に扁桃腺腫らして倒れちゃったあの時期になる。当然、映画に新曲提供は無理だろうというのが大方の見方だったのだが、結局はリミックスということに落ち着いた。そこらへんの経緯は当時の無意識日記を読めばわかる。

その当時戸惑ったのは、このリミックス『Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-』に対する高い評価だった。こちらとしては、いつもお馴染みラッセル・マクナマラによる“PLANiTb Mix”が、いつものクラブミックスなアップテンポではないアコースティック・ロック・テイストになっているのが新鮮だったのだが、アニメの主題歌、エンディング・テーマとして受け取った層は「寧ろ序のより良い」くらいの頗る好意的な受け止め方だった。「なんだ新曲じゃないのかよ」という声はごく僅かで、大半が絶賛だった。リミックスかぁ、みたいなテンションだったリスナーとの落差が凄かったな。

そうなるのもわかる。映画『破』のエンディングで齎される「これから一体どうなるんだ!?」という動揺と期待を、そのままアコースティック・ギターによるイントロダクションが引き取ってくれたのだから。

ここらへんは、もうヒカルの掌中ではなかった。シンエヴァでは『One Last Kiss』のエンディングでの切り込み方に甚く拘ったヒカルだが、「破」の時はノータッチだった筈なのだ。それがこういう評価に繋がったのは、庵野総監督をはじめとしたエヴァンゲリオンのスタッフの皆さんのセンスの賜物ということか。

裏を返せば、それは如何に映画にフィットしていたか、という観点からの評価であって、楽曲単体の評価ではない。でないと、新作続編映画の主題歌がリミックスという名の「焼き直し」であったことへの不平不満の少なさは説明しづらい。

そのあと「Q」では『桜流し』が、「:||」では『One Last Kiss』が提供されて伝説化するのだが、はてさて、今年の『One Last Kiss』に対する評価はどこまで“真に受けて”いいものやら、なかなか難しいとこだ。そんなことで悩まなくても多分未来永劫名曲の地位は揺るぎないのだが、見誤ると色々と危うい。アニメファンに宇多田ヒカルは受け入れられて最早地位は盤石、と喜んでいても次に提供する曲が作品と合ってないとなると叩かれかねない。それがいくらいちリスナーとして聴いた時に大名曲であったとしても。例えば古くはテレビアニメ「るろうに剣心」主題歌に起用されたJUDY AND MARYの「そばかす」がアニメに全く寄り添わずにミリオンセラーになったことなんてのもあったが最早そんなの平成初期の昔話だ。今のアニメファンは配信環境で目も耳も肥えている。J-popとの市場のサイズ感も逆転しているし、今後のタイアップはより一層評価が厳しくなるだろう。

差し当たって、「不滅のあなたへ」第2期の主題歌を担当するかどうか、するとしたらどんな曲か、そこらへんが目に見える指標になるのかな。『BADモード』で邦楽側のメディアや同業者たちからのリスペクトをここにきて大幅増量したヒカルも、畑が違えばそんな御威光は通用しない。でも、そういう場で仕事があるってありがたいわね。外からウォッチしてるだけの身からすればスリリングで実にいいのですw

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