無意識日記
宇多田光 word:i_
 



丁度12月に読んだばかりだ。小さい頃猫の映画を見て甚く気に入り原作も買ったのだが最後迄読んだ事がなかった。携帯でSGをDLしながら青空文庫ので初めて読み終えた(ついでに高瀬舟も読んだw)。映画の表現力は素晴らしかったんだなぁと思うと共に、賢治の、自らの目に映る風景をなんとしてことばにのせようかとのもどかしさがあらわあらわに伝わってき、文学はこれぞと再確認した。ハタから見たら挙動不審な人が世界と繋るてだてを得、ソレが電波に乗って大人のボクのモトにようやっとやってきた。光の目に映えた風景がなんとなったか見るのが楽しみである。

※ そういえば映画「銀河鉄道の夜」に於て最後に朗読をしたのは「まんが日本昔話」でおなじみの、いや、光をマヂ泣きさせた(笑)ことで有名な“BLUEの朗読”をした、あの常田冨士男さんである。光はこの映画見たことがあるのだろうか?

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自分を実際より大きく見せようとせず地に足が着いた活動ができてる事の比喩でもある訳だが、「自然に・普通に」という言葉が過度に繰り返されるのを見る度「シンプルで素直」とは自然に辿り着いた場所でなく目指すべき場所だったのだなと再確認。そして今光がホントにナチュラルなのだから見事目標達成だ。成長の意志は不自然によって表現され、実際の成長は自然によって為される。差詰今ココは踊り場かな。次の階へのステップに進む為にはヒールを履いて遠くを眺めるよりスニーカーで1歩々々踏みしめる事が必要になるから履き替えた訳だね。今後の光の着実な成長に期待したい。

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