無意識日記
宇多田光 word:i_
 



このタイトルで日記を書く機会もそうそう無いので、書いとくか。


台風10号サンサンさんの影響で危ぶまれた大阪横浜四公演も、このままだと無事に開催されそうだ。ピーカンとまではいかないが、現在の神奈川県は雨雲も薄くよく晴れている。明日の開催も決断されるだろう。ただ、交通機関は麻痺が続いていて、昨日本日と東海道新幹線は名古屋三島間が終日運休。ここを寸断されると西の民が東に来るのは難しくなるね。時間を問わねば在来線を使ってでも、となるけどそちらもかなり不安定。なるほど大阪から敦賀まで特急乗ってそこから東京まで北陸新幹線という迂回ルートがあるんだねぇ。凄い時代になったもんだ。これが読み返される頃にはそっちも全部新幹線になってるかもだけど。

交通機関による払い戻し対応の是非は、そうクリアカットでもない。どれくらいの困難だと払い戻しをすればいいか、明確な基準なんて無いからね。あたしは今余裕ぶっこいて電車に乗って目的地を目指してるけど、前日に横浜に宿を取る案もあるにはあった。より確実性を目指すには&不安を早い時点で解消しとくには昨日15時の時点で宿を決めるわよね。でも、そこまでする?って言う人も居るだろう。たかが歌手の音楽公演でねぇ。大事な人の冠婚葬祭でもあるまいに。ここらへん価値観が物申すので、払い戻しするかどうかってのはひとえに主催者側/運営側の判断に頼らざるを得ないのですよ。

今回はデジタルで総て管理されてる…のよね? 綾鷹枠やU-NEXT枠の事までは把握してないけど、基本的にはID単位でチケットが購入されているなら、入場処理してないチケットに関して主催者が自主的に払い戻しをするのはそうは問題ないはず。たとえツアーが終わった後ではあってもね。ツアーアプリはSFツアー単独仕様ではないから個人情報取扱も継続するだろうし。なので、これは行けなかった人の声の上げ方次第かなぁ。「長距離バスでくればよかったのでは」「飛んでる飛行機なかった?」「タクシーで来なさいな(強い)」などなど、言い始めたらキリがないのが交通手段なんですよ。馬で来た人が居たら手を挙げなさい。ああそういや乗馬って公道では自転車と大体同じ扱いなんだってね。


…っと、「公演前の心構え」とか「コンサートを前にしたドキドキ感」とか、そんなことを書くかと思ったら払い戻し対応の話になったか。書いてみるまでわからないもんだね。よくよく考えたら、いや、考えなくても、毎日こうやってこういう日記を書いてたら毎日公演前の心構えになってるようなもんなんだな。つまり、いつもと変わらんわ。宇多田ヒカルと向き合って、ヒカルが何をどう考え感じ動いてるか、知ろうとする事。それは目の前に居ようが居まいが同じだわ。今夕は特別に、珍しく、肉眼の範囲にまで来てくれるというだけでね。心は宇宙のどこにあろうと…ってここで相対性理論が頭をよぎってしまうのは『何色でもない花』のせいか! そうだよ、宇宙は異なる場所には異なる時計が置かれてるのよね。「遠方同士の同時概念」は必ずしも自明じゃないんだな。今夕歌うのかなこの歌。

ワームホールのアナロジーをヒカルが好むのも、ヒカルの時間観が既存のものに収まらないせい。我々はまだ時間についての理解が浅い、とつきつけたのが前世紀の相対論の発見だった。まだまだ一般相対論は一般常識になってないわな。エネルギーという言葉は日常でも使うようになったけど、曲率テンソルとかはなぁ…まだまだ先というか、そんな時代が来るのかな。それはさておき。

ここまで2ヶ月あっという間という人も在れば、長かった人も在るだろう。見つめているヤカンは沸かない、とはいうけれど、楽しい時間はあっちゅーまに朝なのですわね。主観的時間がどんどん時計の時間とずれていくのが加齢というものですが、私のこの2ヶ月? 待ちに待ったかというと、うーーーーん、難しい! 6年近くの間「次はいつになるだろう?」というあやふやな感覚でいた事を思えば、「この日に会える」という確約がとれたことはもう全然落ち着きの為の特効薬だったように思うし、それを考えると「あてどない待ち遠しさ」より随分と穏やかだった気がするなぁ。寧ろまた明日からそれに戻るのかと。まぁそれも、いつもと変わらんな。


…という、公演前の私。いつもと同じでしたとさ。

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無事明日8月31日土曜日公演の開催が決まった。まずは一安心だけども、「お家に帰るまでがコンサート」ですからね。ひとつひとつ丁寧に参りましょう。

とはいえ、気合いを入れ過ぎるのもねぇ。これは「娯楽」なのだと原点に立ち返りたい気分でもあって。平和な地で過ごしているからこそ味わえる時間。

あたし、世界平和なんてまだまだスタート地点だと思っていて。世の中には世界平和を目指して日々頑張っている人たちがたくさんいらっしゃるけれど、その人たちの努力の蓄積がいつの日にか報われたとして、それで目的が達成されて終わり? そこで立ち止まっちゃって「平和に飽く」っていうのが、いちばんマズイと思わない? 平和になって、さぁやっと戦いの日々から解き放たれたけど、じゃあ剣や銃をとる以外にやれることややりたいことが思い当たらないとか、それは遣る瀬無さ過ぎやしませんか。そう、平和なんてやりたいことをやる為の手段に過ぎないのですよ。まだまだ人類は大人になってるとは思えません。

「宇多田ヒカルのコンサートを楽しむ」というのは、世界平和になった暁には、いやさ宇宙平和が結実した暁には!是非全宇宙人の皆さんに体験して欲しい事の一つでしてな。うん、なかなかええ歌聴かせるよ? まだまだ宇宙全体が平和になったわけではないんだろうけれど、“もし仮にそうなったら”、宇多田ヒカルにはその時に是非ツアーをしていて貰いたい。いや勿論、平和から遠ざかる中でも歌ってて欲しいけど、私が祈るのはそっちじゃないからね。世界平和、宇宙平和大いに結構。でもそれじゃ不十分なんですよ。そうなった世界でヒカルが歌っていないとな…!

残念ながら現実は、ヒカルの寿命のうちにそこに到達するのは極めて難しそうだけど、“もしそうなったら”の精神で居る事は極めて大切で。貴方の住む地に平和が訪れたら、こんな素敵なコンサートが催されるかもしれないんですよ!というアピールの積み重ねが、いつかどこかの戦いを疲れさせる事が出来るかもしれないからね。そんな人達に、大いに羨んで貰いましょうよ。それが理由なら恨まれてもいいや。

平和でも、でも、チケット取れなかった人たくさん居るよねぇ。今夜の21時がラスト・チャンスという人も、ここを読みに来ているかもしれない。ここはどうにかしないとなんだけど、人間のスタミナは有限なので、絶え間ない工夫が要るよな。例えば、ツアーアプリの仕様はSFツアー限定になってはいないから、今回抽選全敗した人は次回ツアーの優先当選権を付与するとかできないのかしらん? それでも十分とはいえないかもだけど、出来る限りの事はしていって欲しいなと勝手に思ってたり。ツアーが終わっても日々は続くのよ。

あたしも、内容次第ではあるけれど、来れなかった人が少しでも追体験出来るように、来週からツアーレポートしていくつもりよ。今のところはね…

…と、なかなか確約に踏み切れないのは、ひとたびヒカルのコンサートに参加した場合、観る前と観た後で生まれ変わったような気持ちになったりならなかったりするからなのでした。来週の私は今の私と全くの別人かもしれず、全く同じ人なのかもしれず。このワクワク感が、ライブの大きな楽しみの一つになってるかもしれません。ま、現地であの歌いっぷりをじっくり味わうのが、なんだかんだでいちばんの楽しみですけどね!


さてさて。後はもうヒカルの健康と安全をひたすら祈るのみ! ツアーがあろうがなかろうが、それは毎日変わりません!

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2024年8月30日金曜日。15時からは明日の横浜公演の開催の可否が告知され、21時には直前販売の当落が発表される。気もそぞろもここに極まれりという落ち着かない1日になると共に、映像の収録を考えると宇多田ヒカルのキャリアの流れも左右しかねない“運命の1日”になるかもしれないね。最終日の可否がわかる明日も同様だけれども。

とはいえねー。こちらが出来る事は祈るのみなのでな。大阪二公演に関しては先週の今頃の不安はどこへやらという結果になった。随分と盛り上がったようでよかったぜ。横浜に関しても来週の今頃笑って振り返れるといいな。とはいえまずは各自の身の安全。台風はもとより、収まらない酷暑や止まらない地震など、いつものリスクを念頭に…って、それら全部含めていつも通り過ごすってことか。


普通に考えると、映像収録は保険の意味合いも含めて8月31日&9月1日両日カメラが入ると見てよかろう。運営側としては最低限、どちらかの公演が開催されれば事足りる。過去のヒカルの映像作品でも二日間以上の素材を組み合わせて構成したものは多い。『Utada In The Flesh 2010』はニューヨーク公演とロンドン公演のパッチワークだし、『ヒカルの5』に至っては5日間の映像素材が総て使われているとか? だが『WILD LIFE』と『Laughter In The Dark Tour 2018』は1日分のみかな。その近年の流れでいくと今回も最終日オンリーがコンセプトになるか。その補助として、アクシデントがあったりしたらその都度一曲ずつ8月31日公演分と差し替えるとかはあるかもしれない。

いずれにせよ、チーム宇多田にとっては映像作品は単なるコンサートの記録というよりはそれ単体でひとつのアート、作品だという認識だろうから、音楽制作でいえばリミックス作業に近いのかもね。やり方次第でSFアルバムの2024Mixみたいに劇的な変化も起こり得る。その点を踏まえるとU-NEXT放送版と後にEPIC SONYからリリースされる映像作品とでは同じ素材から違う作品を構成しているかもしれず、もしそうなら是非比較をしたいものなんだけどU-NEXTの配信期間は1週間。それも叶いそうにない。ふぅむ、思ってるよりEPIC SONYからのリリースが早いのかもしれんな。今までは半年後とかだったけど、さぁこれはどうなりますやらですわね。

…ふむ、以後のことを書いてたら少しは気が紛れてきたような…そうでもないような(笑)。今日の15時を過ぎるまでは、こういうぎこちない感じだわ。祈って待ちましょーかね。

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前回は久々に暴走モードだったかも。たまにはああいうの書いた方が無意識日記らしいからいいか。

そして無事大阪二公演も完遂して、いよいよ横浜二公演。ここでは映像撮影があるから是が非でも開催したいところ。たとえ無理でも中止より延期かなぁ。Kアリーナそうそう空いてないよね? 平日開催になるかもなぁ。そうなると来れない人続出かもしれんし、なんとかならないものか。

振替といえば、今日は宇多田ヒカル唯一の振替公演、『Bohemian Summer 2000』アスティとくしまでのコンサート記念日だわね。24年前の出来事だけど、まぁもうネットに記事が残ってないことといったら! プララとかジオシティーズもなくなったから個人の記録も皆無。今回びっくりしたのは、Wayback Machine (web-archives)の中のリンクが切れてたこと! え、そんなんあるんだ。保存日時が記録されてるのにアクセスしたらコンテンツがありませんでしたとさ。いやはや、ほんにこれどんどんスクショ撮ってかないと。何もかも参照できなくなってくんだな。

昔のインターネッツと今の状況の大きな違いは結局のところ「商業化」にある。まぁよくもここまで広告だらけになったもんだ。筒井康隆の名作ショートショートをついつい思い出してしまうけど(オチがバレるとまずいので作品名は伏せるけど、もう半世紀以上前の出版になるのか。なんて先を見通す目の鋭い事!)、かなり大手の新聞社出版社の広告も誘導まみれでよくこんなのOKしてるなと逆側に感心するくらい。いやまぁこっちもそちらの仕事を無料で利用しようとしてるんだから広告自体は我慢するけどさ、動画広告自動再生するんだったらあんたらパケット代くらい払ってくれない? 累積するとバカにならんよこんなん。それはさておき。

Google検索が使い物にならなくなったのも、何を検索してもe-コマーシャルなサイトが上位に表示されるようになったからだし、何より、商売にならなくなったページはどんどん消されていくのがね。いやほんま何の為のインターネットやと思っとんねんというのが昔からネット利用してる側の本音でな。皆で過去の記録を共有するからお互いに無償でとか言ってた頃が懐かしい。あら老害メソッドで書いてるわ今の私。

昨今はAIの利用で揉めてるけど、あれも本題はシンプルで、データソースの利用料を真面目に払う事になったら商売にならなくなるから今のうちに売り抜けようとしてる人たちがわざと混乱させてるだけだもんね。商売が絡むとほんに見通しがよくなくなる。過渡期だから仕方がないけれど、NapsterやYouTubeを思い出すと時にゴリ押しが勝っちゃうのが歴史だから、こういう「簡単な話をわざと混乱させて利得を得る」行動は今後も後を絶たないだろうね。やれやれ。

おかげさまで、、、って最近書くとさ、伊藤忠なのか!?ってなるのよ。あいつら商社だから商売の権化なのよ! 商売っ気のない話でもこのワードを出すだけで途端にさぁ。だからって使わないわけにもいかなくて。来月の新CMがいいイメージなものであることを祈るよ。

話が折れた。戻そう。おかげさまで、この日記は商売っ気と無縁のまま来たので、今やすっかり「昔どうだったっけ」の参照先になれてるのだけど、2007年以降というのがいまいち価値が薄い。やはり宇多田ヒカルデビュー当時、1998〜2000年頃の記録が欲しかったなぁ。ちゃんと記録をとっときゃよかったわ。今言っても仕方ないけどね。まだパソコン持ってなかったしな。


…だなんてことをうつらうつらつらつらつらつら考えていると、やっぱりコンサートライブレポートも未来への記録としてちゃんと書かないとなぁと思ったり思わなかったりで。横浜二公演、無事開催されるといいね。今んところはかなり危ういけれどもここはまた祈りの力で頑張るべっ!

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前にもちらっと書いたけど私最近は「小説家になろう」のコンテンツをアプリ「小説を聞こう」で摂取していますのよ。テキスト読み上げアプリですわね。当然、人間の朗読じゃないから読み上げ方は機械的。一昔前に較べたら物凄く自然にはなったけど、まだまだ本職の声優さんには敵わない。

登場人物の感情のこもったセリフとかも棒読みになるのでそこはいちばん肉声とは違うのだけど、「小説を聞こう」アプリに慣れてきた最近の私はそれで全然OKなのよね。脳内で、棒読みで音読された文章をちゃんと声優さんの演技に変換して楽しめるようになってきてる。

普段、黙って座って読書してる時はもともとそうじゃないですか。黙読って、特に登場人物の感情の起伏のあるセリフは脳内でそれなりの生っぽい肉声に変換して読んでる。それは、「目で追う文字を音声に変換している」わけです。これを最近の私は「耳で追う(棒読みの)音声を(棒読みではない)音声に変換して読んでる」んですよ。音声から音声への変換。意図してそうしようとしたわけではなく、聴いてるうちにそうなってたんだけどね。


さて。前にヒカルパイセンは

『音楽とは言語のようなものだと思っている』

と仰っていた。
https://www.billboard-japan.com/special/detail/3186
そう仰る論理的な理由は、そこで引き続き「一人の世界ではなく色んな人の共通認識の上に成り立っている」と語っている通りなのだけど、あたしは今「音声を音声に(自動的に)変換する」行為を通して、そこを感覚的に知れてきたような気がする。そうなんだよ、音も記号になるんだよ。

言葉は意味を通じて現実世界の五感と結び付く。その中で一旦五感を切り離してまたくっつける事を思考と呼ぶのだけど、ヒカルさんはそういう意味では「音楽で思考する」ことが出来るのかもしれない。何かについて考える時、人は、言葉で考える。日本語だったり英語だったりイタリア語だったりエスペラント語であったり…数学とかの人もいるかな? しかし、ヒカルさんくらいになると、音楽そのもので抽象的思考を展開できるのかもしれない。そうなると創作の幅はぐっと広がる。音を鳴らせば新たな思考がはたらき、また新しい発想が生まれてくるからだ。

台北香港公演で明らかになったように(って私個人は殆どまだ動画とかをチェックしてないのだけどね)、ヒカルさんは新しい言語を習得する能力がとても高い。今や日本語・英語(米/英)・イタリア語・フランス語に加えてあれもこれもという感じ。ただ、世の中広くてバイリンガル・トリリンガル…とマルチリンガルな人材にはもっと凄いのが沢山いる。しかし、「音楽語で思考できる」となれば話は別だろう。極めて少なそうだ。そもそも、そんな発想自体が無いもんね。

逆からもみれる。最近のヒカルさんは言葉や言語に御執心だけれども、そこでの言語的思考を音楽語に変換することで新しい音楽をも生み出せる訳だ。自然言語を音楽語に変換して思考しまた自然言語に戻して独創的な思想を生み出すプロセスと、音楽語を自然言語に変換して思考しまた音楽語に戻して独創的な音楽を生み出すプロセスの両方が手に入る。ふむ、これは宇多田ヒカルの新しい時代を呼び込めそうだ。これ以上独創的な音楽が生み出されたらどうなるやらもうよくわからないけど、合間にきっと小説とか文学とかみたいな創造物も挟まると思うので、今後のパイセンの新しい活動に引き続き期待していきましょうか。…あら、大阪二日目そろそろ無事終わったかな?

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地域によって格差があるみたいだけど、うちの近所では米が全く売ってなくてねぇ。「品薄」という言葉を使って報道してる機関もあるみたいだけど、薄いとかいうレベルじゃないからね? ひとつも売ってないどころか、もう3週間もこうだからお米売り場コーナー自体消滅してカップ麺売り場やミネラルウォーター置き場になってるからね? つまり、今後も暫く米は入荷しないよってことよね。今までのトイレットペーパーやらマスクやらの売切品薄等々とは全然物量も期間もスケールが違うし、過去のいつの米不足の時より事態は深刻にみえるのだけど、なんか報道規制でも敷かれているのかしらん? 特定の銘柄の話でもなく米総てが無いってなぁ。多分失策失政を糊塗してるんだとは思うけど、なんだかこの事態はちゃんと日記に書き残しておいた方がよさそうだぞということで書いておいたわ。


…長い枕終わり。他方、大阪公演初日は無事終わったようで何よりですじゃ。あと今夜を含めて3公演で全部か。

追加公演の望みに関しては、当初の目論見通り厳しいわよね。ダヌくんを学校生活に戻さないといけないし。その前に、週末の横浜二公演の実施の有無なんだけど、U-NEXTがカメラを入れる&EPIC SONYから出る映像商品向けの撮影も兼ねている筈、なので、是が非でも開催したいところ。これが振替公演になるとまースケジュールがややこしくなるよね。流石に無観客では実施しないと思うけど。東京五輪じゃないんだし。

映像素材といえば、前回のツアーでは『光』と『誓い』のVRを収録したんだったわね。
https://www.utadahikaru.jp/news/2m3-q9f3dlhq/
こういうの、今回もあってくれると嬉しいわ。ただ、6年経ってVR周りに大衆的進展があったかというとあんまり無い。普及が特定の分野やジャンルに留まっていて、宇多田ヒカルリスナーのような裾野の広い所までは来ていない印象。でもそろそろAppleさん新しい投入するかな? それはまた発表を待つとして。

ならばもっとシンプルに、新しいMVの素材を撮影すればいいといえばいい。日曜日のラジオ放送によると、伊藤忠の新しいCMが9月からオンエアになるそうで。『Electricity』が続投するとするなら、今度こそ同曲のMVを制作するいい機会になるのでは!? この点に関しては、伊藤忠さんすっかり同時期にオンエア大量投入された綾鷹トラベに話題をもってかれちゃって。正式なMVでもないのにね。おかげさまで(?)、4月は存在感薄かったからね。半年経過してツアーを終えた直後のこのタイミングでの『Electricity 』への再発火、いいと思いますよ。こんな決定的な楽曲なのに、YouTubeにはオーディオトラックのみだなんて(あ、再生回数100万回突破してら。おめでと⭐︎)寂しいもんね。『Beautiful World』なんかも、正式なMVがYouTubeにずっとあったら全然違うことになってたろうし。今年の宇多田ヒカルを象徴する楽曲が『traveling (Re-Recording)』になっちゃうのは、全然悪くはないんだけど、なんか違うものね。ライブ会場で撮られたヒカルの姿をフィーチャーした『Electricity』、実現したら嬉しいですぜ私ゃっ。

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今夜はつまらない日記をひとつ。自分の頭の中を再整理しただけですから。


そろそろ自分の観る公演が近づいて来たので「ライブモードになる」&「来週からはコンサートの感想やら何やらを書くモードになる」、つもり。だけどまず当日無事に辿り着かないとな。這ってでも…は無理でも、歩いてでも走ってでも到着する所存。まずは安全&健康に気をつけて。

で来週からのこの日記なんだけど、書き方が恣意的にならざるを得ないのね。評価の軸を自分で設定しないといけない。だって自分のコンサートに対する素の(飾らない)感想って

「ヒカルが出て来た!笑顔っ!!可愛い!!! 
 百点満点で一億点!!!!!」

みたいなノリなんすよ。いやそんなレビューでも一定のニーズはあるかもしれんけど、流石に読んでてつまらんでしょ。宇多田ヒカルが可愛いだなんて百も承知な人がここに読みに来てるのだからそれ連呼されたってね。そうなのだ、元々こんな日記を書いてる動機がアイドルの追っ掛け的理由(「かわいいから」)なので、素の感想って「かわいい」一辺倒なんすよ。

「でもあんたやたら音楽に詳しくない?」みたいな印象を持ってる人も少しばかり在るかもしれない。「てっきり(?)ミュージシャンとして評価してるんだと思ってた」と。普段も音楽の話多いもんね。でもそもそも自分が音楽に詳しいと思ったことないし(人と比べてではなく、知識と理解への自信の話)、ヒカルの音楽性がジャストの好みだというわけでもない(『EXODUS』は相当近いけど)。どちらかというと、「ヒカルが音楽に熱心だから」音楽の話をしてみてる、という感じなのよ。そんなだから、コンサートの感想やらレビューやらを書こうってなると、視点や論点を新しくそれ用に設定しないといけないのよ。「音楽に対する自然な感想」って、ないのよさ。不思議な事に。

だもんだから、来週から書く内容を辛口にするか甘口にするか絶賛悩み中。どうにも最近のネットをみると両極端が目立ちがちで、「あそこはほどほどによかったけど、こっちはいささかこころもとなかった。」みたいなどっちつかずな感想の書き方は通じなかったりするみたいでなぁ。絶賛と非難のどちらかの色で統一するのがウケがいいと言いますか。みたらし団子好きとしては肩身が狭いのでした。あ、甘いのと塩っぱいのが混ざり合ってるって意味ね。でも酢豚にパイナップルはそんなに好きでもないかも…? いやサラダにリンゴとレーズンはアリだな…(何の話や)。

まぁこんなあやふやな、悩みとも言えないふんわりとした妄言を吹き飛ばすくらいのライブをヒカルが観せてくれたらいいだけの話ではある。歌の凄みは前回ツアーで更に強烈に刻み込まれたからアレを炸裂させてくれればそれでOKな一方、ショウ全体の完成度はどうなのかというのは些か気になるところでもあり。前回は「セトリとヒカルの感情のズレ」を論点として取り上げたりしてて。何しろ「かわいい」という素直な感想も一旦封印する予定なので「MCが冗長でダレた」とかも平気で書くかもしれない。それ観てる間実際には目がハートだったくせに、だよ!? 自分で書いてて情けないし卑怯とも思うけど、でも、あたしは面白い日記を読みたいからねぇ。だから客の盛り上げ方や扱い方、コミュニケーションの上手さ巧みさ、そんなのも評価の対象にするから必ずしも絶賛では埋め尽くされないのでは?という予想もしているよ。どう転ぶことやら。

まとめると、「絶賛ばかりじゃつまらないからいろいろ書くつもりだけど、本気で文句があるのとはちょっと違う&わざと難癖つけてる場合もあるから、そこは割り引いて読んでね!」っていう予告なのでした。何より、来週の私は最早別人かもしれないので、今のうちに今の心境を、記しておきましたってことでな!

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そういやラジオで『SAKURAドロップス(2024 Mix)』が流れてたけど、あの選曲意図は何だったんだろうね?? 歌詞的には時期ハズレだし、特に何のコメントもないし。番組スポンサー肝煎りの『Electricity』やメッセージ性バリバリの『道』と較べるとよくわからんかった。いや別に曲掛けてくれるんなら何でもいいんですけども。

『SAKURAドロップス』って私、リリース当初はそこまではしゃいでなくてね。「求められる宇多田ヒカル像を見事に体現した一曲」であることに「守りの姿勢」を見出してたのよね。それは、両A面シングル曲即ち同時リリースの『Letters』のインパクトが凄かったから。当時としても─いや、今聴いても、だな─斬新なフックライン(『いつも置き手紙』!)で興奮しまくったというか、やっぱヒカルは攻めの姿勢だよねと。当のヒカルも、インタビューやCDTVコメントなんかで明らかに『Letters』推しだったし、それに引っ張られた部分もあった。

しかし、こうやって両方過去の曲として聴くとどちらも「いい曲だねぇ」という感想しか残らない。リアルタイムで聴く時とは全く気分が異なる。守りも攻めも過去の事で、しかし、ひとつの生命としての楽曲は何ら変わらない。いや今回どちらの曲も2024 Mixで装いも新たになってはいるけれど、極論すれば2002年のサウンドも2024年のサウンドも、その時々の流行の装いを着こなしてるだけで、生身の楽曲としての生命力は変わらず同じく強く漲っている。

…というようなことを確認した上で、じゃあ今後は私の新曲との相対し方が変化して攻めも守りも区別しなくなるのかと言われたらそんなこともなく。相変わらず守りの曲は守りの曲、攻めの曲は攻めの曲として評価するだろうね。ところが最近のヒカルさん、「置きに来る曲」が全然なくってですね…いや昔から少なかったけど、最近は守りの姿勢とか全く無いというか…でもそういうのも、コンサートツアーを通じて変化するものだからね。「あ、ちょっとこれは行き過ぎてたのか」とか「これくらいまでなら全然ついて来てくれるんじゃん!」とか肌身で感じる事が出来るから。そこらへんのフィードバックがわかりやすかったのが『UTADA UNITED 2006』後の『ぼくはくま』に始まる『HEART STATION』エラで…って嗚呼これ話が長くなるやつだ!(笑) てことで今朝はここまででっ。

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明日8月27日火曜日の大阪公演は開催決定で何より。このまま行けば28日水曜日の公演もGoサインが出そうですが怠らず推移を見守りましょうか。代わりにと言っては何ですが31日土曜日の横浜公演の方が今度は危ぶまれ始めていますね…って、それあたしが観に行くヤツだから! どうなることやら!

その上?KアリーナがXトレンドに上がってたから何かと思えば無い席の券を売ったとか。しかも同会場では過去にも同じ事態があったとか。面白くなって参りました。(もう面白がるしかない)

待つしかやることないそこらへんの話は置いといて。そうね、ラジオの話の続きをしますか。


前回もちらっと触れたけど日曜日のラジオ出演は、ヒカル自身も言ってた通り、

『いろいろ話しちゃった!(笑)』

の一言に集約されるよね。『40代はいろいろ♫』じゃないですが、ほんにあれやこれやと話してくれて。私もあれやこれや触れたいですわ。…いやヒカルさんの身体に触れたいのではなくてだね…嗚呼それは勿論触れたいのだけど…(ドツボにハマるヤツだこの流れ)。


こほん。『Automatic (2024 Mix)』を聴いて泣いた話のくだり。

『ずっと私は15歳の時から自分に正直に向き合って作品を作ってきてたんだ、だから変わんないと思える人間性が出てるんだって自分で思って。それに(対して)パイセンから後輩に「頑張ったね」みたいな。「ホントに頑張ってたんだね〜(泣)」ってちょっと思っちゃって。お母さん目線で。その自分を。』

と語ってくれたヒカルパイセン。そうよね、ここで泣くってそういうことよねぇ…ということで、3月にこの日記に書いた一文を再掲しとくわ。

「普段自分の作った音源を聴きさえしない宇多田ヒカルが、もう若い頃の音源なんて聴くだけで恥ずかしがりそうなヒカルが、聴いて泣いてただなんてどういうことかと思ったけど、これは最早歌が昔になり過ぎたのかもしれない。最初っからではあるけれど、今のヒカルより、息子のダヌくんの方が、当時『Automatic』を歌った14,5歳のヒカルにずっと年齢近いもんね。ヒカルからしたら、もう本人というより、自分の娘のような感覚に近いのかもわからない。もし自分の娘が宇多田ヒカルで、そのデビュー曲がこの名曲だったなら…そりゃエモさが限界突破するわな。と同時にそれは、今のヒカルが25年前のお母さま、藤圭子さんの抱いていた感情を追体験してるようなものなので、これは更にエモい話で。泣くわこれは。」
https://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/e/74302187cccd4b0f5489c4b258845776

そうなんですよ、最早「15歳の宇多田ヒカル」なんて我が子の年齢に近いからね、『お母さん目線』になるんですよ。となると涙腺に来るのは致し方ないわけで。後半の、「15歳の宇多田ヒカルのデビューを見守る47歳の藤圭子の目線と重なる」という話は出てこなかったけど、これいずれ自覚する時が来ると思うからそれまで待ちましょうか。そういやこの母娘、大体同じ年齢(31〜32歳)の頃に出産してるのね。一時引退の年齢も同じだし(28歳)、そこら辺は影を追ってた感じだわね。もっとも、復帰時期以降の足跡は違うので、『Fantôme』以降は「宇多田ヒカル独自の“道”」を歩み始めているということでしょう。今回の番組のラストを飾ったのも『道』だったし、力石徹の影を振り切ってからの矢吹丈は強いよ?(何の話だよ)(それじゃ『Show Me Love (Not A Dream)』だよ)

しかし、もしかしたらカットされてる部分で話してるかもしれないわね。お母さんの話をもっと。随分掻い摘んでた印象だもんねオンエア分。ラジコプレミアム会員限定で完全版ポッドキャスト配信とかすれば儲かるだろうに、やってないのかな? 嗚呼、Spotifyで流せばそれなりに分配あるとか? まぁなんでもいいけど、ラジオ放送の時間枠なんて古風なものに囚われてないでどんどん流してくれて、いいのよ? なお毎日その古風な時間枠のおかげさまでこの私めは毎朝遅刻せずに済んでおりますどうもありがとう…とか書くと明日の朝遅刻するフラグが立つからやめとくれ!(笑)

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昨夜はJ-waveの「ITOCHU DEAR LIFE, DEAR FUTURE 」に出演、55分の枠ほぼまるごとのインタビューでしたわね。

内容はというと相性の由来やアルバム、ツアーに創作論と子育て論に至るまで非常に網羅的で、現在のHikkiの立ち位置を測るにはうってつけの内容。あとから「2024年ごろのヒカルってどんなだったかな?」と簡潔に振り返りたい時にサクッと聴いて確認できる熱心なファンにも有用な会話になっていたかと。

注目だった収録時期は台北香港公演の後。つまり8月19日〜8月25日の1週間のうちのどこかってことね。ラジオなら当日収録録って出しも当たり前でございますし。恐らくは各地が出た当日辺りだったのではないかなと(つまり8月20日)。公式からはパーソナリティさんのSHELLYとのツーショットもアップされててリモート収録の線も消え。…多分ヒカルが「初対面の距離感」をストーリーに上げてたのも「真ん中引っ付いてないからって、合成とかじゃないよ!」とアピールしたかったのも、ある、のかな…? いやそんなん気にしないか。ま、今時は居る人が居なかった事になってたり居なかった人が居たりというのはどうにでも加工が出来るようなので、逆にそういうのが頭にない人のアウトプットの方がシンプルに信用できて楽だわね。まーそれはどっちでもいいんだけど。

台北香港公演の後という事でそこに関するヒカルの生の声が聴けて、そうね、あたしが言ってもしゃあないんたけど、感慨無量でしたわ。でも「25年待っててくれて」っていうのは、とうなんだろうな?? ファンたちの写真を見る限り結構20代が主体だったような…え、野暮なこと言うなってか。すみません。公演が成功したのならそれでいいわよね、

じゃあ野暮ついでに書いとくか。「日本語大丈夫!」って言われて驚いた件。あたしも気になってたのでね。台北公演でどれだけ日本語MCが通じるのか。今の、それこそ若い世代の日本語習得率がどれくらいなのかと。そもそもJ-Pop聴いてる時点でバイアスがあるんだけども。ヒカルが現地の言葉をしっかり習得してたという事でその努力には頭が下がるばかりなのだけど、ちらっとでも「台湾」の歴史については学んだのかしら。どうにも、聞けば聞くほどあの土地で「日本語ができる」人達が沢山いる理由が、複雑な歴史に起因することが痛感できて、こりゃあ確かにやりづらいなと。

ただ、今を生きてる若者に歴史なんて関係ないんだよね。歴史に興味ある若者は別として。中にはお互いの歴史をちゃんとわかってないとと言う人も居るけれど、大事なのは今を生きてる者同士がちゃんとお互いに向き合ってるかどうかで。そういう意味ではヒカルのやり方は、巧まずかどうかは知らぬが非常によかったのだろうなと。ライブだもんね。日本語上手なのに驚いたのも、様々なことを学んだ挙句だった気もするな。

こういう野暮をわざわざ書いてるのは、ヒカルはこれからも様々な土地でコンサートを開いていくだろうから。そこまでの時間を取れるかどうかはわからないけれど、土地土地でデリケートな問題があるとすれば事前に察知しておくのが無難なわけでね。そういうコーディネーター居ないのかしらね。専門家が居てくれたらいちばんなのだけど、ひとまず、今回のヒカルの台北香港4公演に関してはその点で問題が起きなかったどころか現地の言葉で話しかけて大成功!だったので、実によかったなと思ったのでありましたとさ。


で、そのMCの様子がラジオの直後に放送された「NHK MUSIC SPECIAL 宇多田ヒカル 完全版」の冒頭で流されて「いやお前こんな可愛い生き物見せられたらほんと俺野暮の極みやん」と切実に思わされたのでした。つくづく、可愛いは、可愛いこそが正義ですわよね…。

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まぁ前回とほぼほぼ同じこと書くんだけど。「ステイ・ウィズ・ミー feat. 宇多田ヒカル」、よいねぇ。

ヒカルのお姉さんぶりが発揮されるのは、2:00過ぎたあたりからの2人のハモリ愛、もといハモり合いの場面だと思うのだけど、それと共に私が「んんん!?」となったのが、1:40のヒカルの『with me』なのよ。オリジナルには無いよね。メアリーJも歌ってない。ヒカルのオリジナルになるのかな?わかんないけど。

https://youtu.be/pTrWB4PkGh4?t=98s

この歌の歌詞全体はそもそも、「一夜限りの関係で愛なんかないけどそれでも一緒に居て欲しい」とかっていう、寂しがり屋さんの心情を歌ったものなので、“stay with me"って、「懇願」なのよね、「いっしょにいてよ」っていう。だから"with me"ってどこか卑屈というか、自分みたいな惨めな?寂しい?人間をひとりにしないで的な響きがどこかあったりするっぽいんだけど、ここのヒカルの(1:40)の『with me』は、なんか反対側の「この私が一緒に居てあげるよ」くらいの自信というか暖かさというか優しみをしんみり感じさせてくれててね。なんか歌詞の読み替えが誤読ギリギリなとこまで行ってる気もするんだけど、そう捉えるとその2:00過ぎてからのハモり合いの解釈が素直にできそうでな。

そのラスト1分弱、サムが先に録っててヒカルが後からハモりを入れに行ってると思うんだけど、その歌のラインが近づくのと離れるのの割合の絶妙さがもう身が捩れる程の職人技で。そうして合わせにいった時のラインの正確さが尋常じゃない。符割も音程も。2人の発声自体が異なるものなので、余計にそのシンクロっぷりに驚く。Ne-yoとの“Do You"も見事だったけど(このときも後から「実際には会ってない」と聞かされてビックリしたっけか)、今回は更にそこからのヒカルの(十数年にわたる)歌手としての上積み分が凄い。余計な事いうけど、上積みと上澄みって意味正反対に近いのに発音ほぼ同じって罠にも程があるよね。でもづとずはzuとdzuなので微妙に異なる音なのだぞ。…って、ホントに余計な事書いたな。

確かに2人が10歳差ってのはあるんだろうけど、それ以上にヒカルの培ってきた優しさと歌唱技術が、今まで以上によく手を携えれる段階に入ってきてるからこその、ひとつ節目となるパフォーマンスになったというのが初日の私の感想ですわ。いつかどっかの宇多田ヒカル名義のアルバムにも、入れてほしいわね。

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そもそも、ツアーも終盤に差し掛かってきたこのタイミングで新しいトラックが届けられると思ってなかったのでそれだけですでに嬉しいサム・スミスの"Stay With Me (feat. Hikaru Utada)"、実際に聴いたらますます嬉しい。

まさか先にヒカルが歌い始めるとはね! 予めメアリーJとのデュエットを聴いていた偏見がこんなに真っ先に現れるとは。しかし結果、なんかヒカル主導のトラックになっててそれがいちばんの驚きだわ。

今までのこういうゲスト出演というのは、大抵相手を立てるというか、役割を弁えてというスタンスだったように思うけど(なりくんとのは自分も作詞作曲に携わってるから別)、今回はかなり自分の領域に引き込んだというか、「お姉さんのこの胸に飛び込んできなさいな」とでも言われてるかの包容力…抱擁力?を感じられて、いやこれどっちが大物かわからんね。

確かに、数字を調べてみるとサムが1992年生まれで、日本基準で1982年度生まれなヒカルからすれば10学年も歳下ってことになるんだな。デビューアルバムもヒカルが1999年、サムが2014年てことで15年の開きがある。サムからすれば、キャリアの長さからしたら大先輩を迎えてという感覚になるんかな。

昨夜リリース直前にヒカルのインスタストーリーにそのサムとの会話が1分弱掲載されたのだが、それをみてもまぁサムの嬉しそうなこと。舞い上がってると言ってもいいような。英欧米では君の方がずっと有名やねんで、ってこれで言い挟むのは野暮極まりないですかね。

ここらへん、英語圏のメディアはどう報じるのかな。「なんか極東の名も知らぬ歌手がサムに対して随分偉そう」みたいな感想になるのか?? 知らんけど。好きにやってくれたらええか。

サムがどのタイミングでヒカルのことを知ったかは、まだわかってない?? 時系列的にはサムが2014年にデビューして全世界のチャートを席巻、その音楽性とクォリティに注目した三宅彰プロデューサーと沖田英宣ディレクターが時を同じくして「次のヒカルの作品のプロデュースはこのサムを手掛けたスティーヴ・フィッツモーリスに依頼しよう」と決意(ここらへんのことはSpotifyのアーティスト・クロニクルで語られてたね)、ヒカルに引き合わせた後に今の『Fantôme』以降の「英欧米のミュージシャンをメインにしたレコーディング&ライブ体制」が出来上がっていったので、サムがヒカルの名を知るのは2016年以降になるか。前回この日記に書いた通りサムからすれば自分のレコーディングを支えてくれてる面々が悉くヒカルの作品に参加しているので、すぐに話は行ってた可能性も高いわ。

…という背景が仮にあったとすれば、サムからすれば「満を持して」「念願の」コラボレーションが実現したのかもしれない。日本では「あのサム・スミスと共演するなんて宇多田ヒカル凄い!」という報じられ方をしそうだけど、トラックを聴く限り「ヒカルを迎えられて嬉しい!」「うふふ、安心してお姉さんに委ねなさい」という関係性に聞こえるのよな。つまりヒカルさん、レコーディングでもまさかのくま子先生モードだったのかもしれません。寧ろこのレコーディングがあったからくま子先生のキャラが爆誕したのかも!? どうなんでしょうねぇ。ニヤニヤしながら今日一日、この絶品の歌唱を堪能させて貰うと致しましょうか。ホントありがとね。

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本日18時半にサム・スミスの公式アカウントからツイートがあった。

MIDNIGHT TONIGHT JST
4PM TODAY BST
@utadahikaru
https://x.com/samsmith/status/1826552796910366948?s=46

これを@Hikki_Staffがリポスト。予てから話が上がっていたサム初期の代表曲「ステイ・ウィズ・ミー」のタイトル名とヒカルの名が並んでいる。サムとのデュエットを披露する期待が高まっている今夜である。

この話が出る前から「サム・スミスと歌えばいいのに」という話はいつもどこからともなく湧いて出ていたものだ。サムのヴォーカル・スタイルはいわばなりくんのお手本みたいなものなので(本人はもっと昔の歌手の名前を出してきて否定するかもしれんが)、今まで幾度となくあった宇多田ヒカルと小袋成彬のコラボレーションを楽しめた人ならほぼ必ず気に入ってくれる組み合わせと言える。楽しめてなかった人も聴いてみて欲しいけどね。「なりくんは苦手だったけどサムならいい」という人も在るだろうから。「なりくん苦手だったけどサムはもっと苦手!」という人も、まぁ、ね!

スタイルもそうだが、それに伴い人脈的にも必然的なのが今回のコラボレーションといえる。「ステイ・ウィズ・ミー」のクレジットを確認すると、

プロデューサー:スティーヴ・フィッツモーリス
エンジニア:ダレン・ヒーリス
ドラム:シルヴェスター・アール・ハーヴィン
ベース:ジョディ・ミリナー
弦楽指揮者:サイモン・ヘイル

といったお馴染みの顔触れが並ぶ。スティーヴは言わずもがな『Fantôme』以降ずっとヒカルのサウンド・メイキングを司ってきた人(SFの新録や再録も彼だ)、ダレンはそのスティーヴの相棒みたいな役割をしてくれてる人だ。アール・ハーヴィンは『Laughter In The Dark Tour 2018』のツアー・ドラマー、ジョディは同ツアーのバンマスで『One Last Kiss』でA.G.クックが入れ忘れたベースラインを急遽補填させられ(て弾いた演奏が各所で絶賛され)た人だ。サイモンはあの『花束を君に』の感動的なストリングスを指揮した人だと言えば通りがいいか。もうみんなみんなヒカルに縁のある人ばかりの曲なのだサム・スミスの「ステイ・ウィズ・ミー」は。

更に、同曲はグラミー賞二部門を受賞しているのだが、そのバージョンが「ダーク・チャイルド・バージョン」でして。そう、あのヒカルの『タイム・リミット』の前奏間奏でやたら「ダーク・チャイルド♪」と呟いてるおっさん、あの「ダーク・チャイルド」さんのことなのだ。別名ロドニー・ジャーキンス。あ、逆か。ホイットニーやらマイケル&ジャネット・ジャクソンやらを手がけてきた超有名プロデューサーさんですわ。


…という感じで最早「我が家」状態のこの曲でヒカルがどんなパフォーマンスを見せているのやら、ですわね。で、サムは昔この曲をメアリーJ.ブライジとデュエットしてるんです。メアリーといえば彼女のセカンド・アルバム「マイ・ライフ」が「宇多田ヒカル生涯の一枚」として数えられる程にヒカルに影響を与えた人物でな…という話はこの日記で散々してきたから省略するとして、もしヒカルがメアリーと同じようにサムとデュエットしているのなら比較されてしまう事必至なのですよ。どうしたって。

日本での知名度がどれくらいか知らないけれど、メアリーはこの日記でも「宇多田ヒカルが歌唱力でとても敵わない」人物の代表格として名前をずっと出してきてる事でわかる通りメチャメチャ歌が上手い。この「ステイ・ウィズ・ミー」での歌唱も取り立てて名演という程ではないけれど、「ゴスペル寄りのオーソドックスなソウル・ナンバー」という同曲の立ち位置を第一声から絶妙に指し示す声のファイン・チューニングぶりを見せている。うぅん、ヒカルこれと比べられちゃうの??いやーん。

てことで、ヒカルがどんな角度からアプローチをしてくるのかに注目したいので、曲を聴く前にこうやって日記をいそいそと(急ぐとか忙しいとかの意味で使う人が減らないのでこれそのうち辞書でも併記されそうよね…ここでは嬉しい様子で、という意味です)書いているのでした。果たして、メアリーのようにゴスペル風味をほんのり出してくるのか、それとも開き直っていつもの客演みたいな歌い方をするか(『By Your Side』とか『Do You』とか『T』とか)、はたまた思いもかけないスタイルでレコーディングしているのか。あたしとしてはデュエットでなくソロでこの曲をカバーしてみて欲しいんだけど、まぁそれは今回は無いか。バックの演奏が再録として、仮にいつもの勝手知ったる仲間たちに囲まれて歌ったというのなら、いつも通りの高品質なパフォーマンスが期待できる。でも今回ばかりはいくらなんでも比較対象が厳しい。私は誰と比べるでもなく、ヒカルの歌唱そのものを楽しむつもりで聴くよ。


追伸:最後に、ヒカルからのメッセージがサムのオフィシャル・サイトに載ってたから転載しとくわね。

https://inthelonelyhour.samsmithworld.com/

『Sam Smith has the kind of voice you hear once and you always remember. The first time I heard them was on the song "Latch", at a music festival I went to London soon after I moved there from Tokyo. I looked up the song right away to find out who that voice belong to. Then came "In The Lonely Hour" and the rest is history. 』

「サム・スミスの歌声は一度聞けば二度と忘れないですよね。初めてサムの歌を聴いたのは、私が東京から引っ越して間もない頃にロンドンで観た音楽フェスでの「ラッチ」(※2012/10/8リリース)という曲で、でした。その歌声の続きを知りたくてすぐにその曲の事を調べたんです。そうこうしてるうちに(サムのソロ1作目)「イン・ザ・ロンリー・アワー」がリリースされて、後は皆さんご存知の通り!」(i_さん訳)

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また2024/8/11のEIGHT-JAMから。

『私が感じ取ったものを、そことは切り離してまた膨らますみたいな。ちょっとお餅貰ったけど切り離してまた膨らます…殖やした、みたいな。…喩えが変だな…漬物の菌とかの方がいい? ちょっと分けて貰った(笑)。』

これはタイアップの制作話の時にヒカルが出した例え話のくだりですわね。サバンナ高橋に切替スピードを絶賛されてたけど、本来なら芸人さんの現場での切替スピードはもっと早い。それでも感心されたのは、ヒカルさんてインタビューで予め問答を想定してなくてその場でひとつひとつ考えながら言葉を発するからね、これ収録の現場ってより、ネタ出しとか打ち合わせの間合いなんですよバラエティで言うなら。漫才師がコンビでネタ合わせしてアイデアを搾り出してる時にこのスピードで「ここは餅…いや漬物か」って即座に代替案出されたら「あ、この人頭の回転早いわ」ってなるよね。それ。

つまりヒカルさんは最初「切り離して膨らませる」というキーワードを抽出してその特徴の当て嵌まる食べ物としてお餅を出してきたのだけど、

「待てよ、お餅は確かに膨らませるものだけど、量が増えるわけじゃないよね? 単に中に空気が入って容積が増えるだけで質量はそのまんまだな。いや私のやってる事は、メインのタイアップ相手のストーリーを元にして“新しく歌を作り出す”ことだから、最終的なアウトプットの総質量は増えてないといけないんだよね。だとしたら餅の喩えは不適切だな、なんか同じものを分けて貰って質量が増えるもの…ああ、お漬物だとそうなるか!」

…とか考えて喩えをスイッチしたんだろうね。動画と音声があると思考過程が追い易くて嬉しいぜ。


抽象的思考の基本的な推移の一例として、これは非常に参考になるのよね。

・切り離す
・膨らます

の2点の性質だけ抽象してそれに合致する餅という具象を返してはみたものの、元の被比喩対象にとっては不十分でもうひとつ

・最終的な総質量が増えている

という条件を加える事で今度は十分さを担保する。確かに、私の普段の思考過程もこれの繰り返しだわ。対象の特徴や性質を項目毎に抽出して言語化し固定化(ここが大事なんだけどまだあんまり一般的になってないな)して幾つかのサブルーチン(プログラム/ロジック/アルゴリズム)に放り込んで答えを返して貰ってまた対象の性質と突き合わせて齟齬がないか確認する。…ふむ、思考過程だけじゃないな、人との会話であろうと、技術の習得だろうと、自然相手の実験や観察であろうと、基本的にこういうプロセスだわね。

なので、何をするにしてもこの「餅と漬物」のくだりはとても参考になるエピソードだと思うし、なんだったら「コロンブスの卵」や「トロイの木馬」や「臥薪嘗胆」みたいに、普通に文章中に故事成語の一種としてこれから用いていくことになるかもしれないわ。どうなりますやら、だけどね。


P.S. なお、餅や漬物でなく栗まんじゅうならドラえもんの「バイバイン」。あれもSFちっくなエピソードとしては秀逸でしたな。今や「指数関数的増加の具体例」としては最も有名なもののうちの一つかも?? 知らない人はググってね。

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「宇多田ヒカルはデビュー当初から日本語と英語を自由自在に行き来していた」その詳細が(漠然としたイメージはともかくね)、当初いまいち伝わりづらかったのは「歌詞カードの書き方がルーズだったから」というのが理由だったかもしれない─、とかってのがこないだした話。

では、それ以降はルーズでなくなったの?と疑問が浮かぶが、うん、大体はその通り。代表的なのが2007年夏の楽曲『Kiss & Cry』だね。歌詞カードにはこんな風に書かれている。

『お父さんのリストラと
お兄ちゃんのインターネット
お母さんはダイエット
みんな夜空のパイロット』

このように、もともと英単語のもの(restructuring, internet, diet, pilot )が総てカタカナで書かれていて、実際にカタカナ発音なのだ。いずれも、日本語の単語として歌われている。つまり、ヒカルの発音は

『お父さんのrestru(cture)と
お兄ちゃんのinternet
お母さんはdiet
みんな夜空のpilot』

とは歌って“いなくて”、

『お父さんのRISUTORA-TTO
お兄ちゃんの INTANE-TTO
お母さんは DAI-E-TTO
みんな夜空のPAIRO-TTO』

という風に、どれも語尾を“-TTO”/「トーッ」というはっきりとした母音のある発音で歌っているのだ。なので、いずれもカタカナで書いてある。そういうののいちばん極端な例が2番2回目サビアタマの

『ドントウォーリーベイベー (Kiss & Cry)』

ですよね。ここのヒカルはもうこのカタカナのまんま歌っていて、決して

『Don't Worry Baby』

などとは歌って“いない”のです。ここらへん、1stアルバムの頃に較べてしっかり歌詞が書き分けられています。括弧内の“(Kiss & Cry)"は、ちゃんと英語発音で歌われてるもんね。

なぜこの曲『Kiss & Cry』では特にこの日本語表記と英語のアルファベット表記が厳密に書き分けられているかというと、いちばんの理由はさっき引用したBメロ、

『お父さんのリストラと
お兄ちゃんのインターネット
お母さんはダイエット
みんな夜空のパイロット』

の次にある。そう、ここから

『孤独を癒やすムーンライト』

が続いて、当然ここも“moon light”ではなく、『 MUUN RAI-TTO』と歌っていますわね。で、その次!

『今日は日清CUP NOODLE
CUP NOODLE CUP NOODLE♪』

ここですよ! ここはカタカナの「カップヌードル」ではダメなんですよ! だってここカタカナ発音にしちゃうと

「今日は日清 KAPPU NUU-DORUU」

っていう風に、語尾の母音が「-TTO」ではなくて「UU」になっちゃうからね! だからここは正確に英語発音の“Noodle"にして、語尾を「-TTO」に近づけないといけない。実に上手くやってますね。

ですが! よく聴いてる人なら既にお気づきかな。そうなのよ、英語の“Noodle"の発音のままだと「-TTO」に“近づく”だけで完全には母音の音韻が揃わないのよね。だからここでもヒカルは『Automatic』で『君とParadiseにいるみたい』の『Paradise』を『Paraダイス』と前半英語後半日本語で発音したのと同じように、

『NOODLE』

の部分を

『NOO ド LE』

って発音してるのよさ! つまり、まるっきり英単語そのものの発音でもないわけ。よりシンプルに言えば、"d"を"doh"って歌ってんだよね。『Paraダイス』みたいに前後半分に分けるのより更に複雑な

「英単語の真ん中の1文字だけカタカナ日本語発音」

てのを、ヒカルさんはこの『Kiss & Cry』で成し遂げてはるんですわ! やっぱりデビューから(この時点で)9年経って、手法も成長&成熟していたってことですかね。

しかしつくづく、この『今日は日清 CUP NOOドLE』のフレーズが、実際にはテレビコマーシャルに使われなかったのが惜しくてならない。どっかで復刻して起用し直す気はありませんかね日清食品さん!?



…んで。余談になるけど、昔の日清カップヌードルのロゴってのは、ドの字を小さくして

「日清カップヌー㌦」

みたいに書いてたのよな。(機種依存文字につき表示されない環境の方はごめんなさい) ヒカルのカップヌードルはこれとは逆というか、

『日清 CUP NOOドLE』

だから、“ド”が大きく強調されてんだよね。ここらへんも、いい対比を描いてて好きだな。余談でした。

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