きのふけふ
千里の空も一つにて
軒端にくもる
五月雨のやど
良経
今日は一日寝ていた
朝日日本歴史人物事典の解説
九条良経
没年:建永1.3.7(1206.4.16)
生年:嘉応1(1169)
鎌倉時代の公卿。
号は中御門殿,後京極殿。
摂政・関白兼実と藤原季行の娘の子。
文治1(1185)年従三位。
4年兄良通が早世したため
九条家の嫡子となる。
このころ父兼実は源頼朝と結び,
摂政・関白として権勢の頂点にあった。
5年権中納言,権大納言。
建久6(1195)年内大臣。
しかし7年源(土御門)通親の策謀により
兼実は関白を辞めさせられ,
良経も籠居の身となる。
正治1(1199)年閉門を許され左大臣。
失脚後兼実は政界から退き,
良経に九条家を託していた。
建仁2(1202)年通親が死去し,
後鳥羽上皇の意により良経が摂政となる。
元久1(1204)年太政大臣。
建永1(1206)年急逝。
あまりに突然の死に,
後世には殺害されたとの説まで生まれた。
良経について叔父慈円は著書『愚管抄』に
「能芸群ニヌケタリキ,詩歌能書昔ニハヂズ,
政理公事父祖ヲツゲリ」と記している。
『新古今和歌集』の仮名序の作者で
代表的歌人のひとりであり,
歌集『秋篠月清集』,漢詩集『詩十体』などがある。
書家としても有名で書風は
後京極流と呼ばれた。
一方有職故実の研究にも力を入れ,
『大間成文抄(除目大成抄)』
『春除目抄』『秋除目抄』などの著書を残している。
ほかに日記『殿記』がある。