この三条件は幼稚園児でも知っています。この三条件を知っているから私たちは安心して毎日の行動ができるし、人と話を通じさせることができる、といえます。逆にこの三条件のいずれか一つでも成り立たないとなると、もう危なくて外を歩くこともできませんね。
このように現実を見きわめながら私たちは毎日を暮している。
そういうことであるので、私たちは現実の中を生きている、といえます。
この三条件は幼稚園児でも知っています。この三条件を知っているから私たちは安心して毎日の行動ができるし、人と話を通じさせることができる、といえます。逆にこの三条件のいずれか一つでも成り立たないとなると、もう危なくて外を歩くこともできませんね。
このように現実を見きわめながら私たちは毎日を暮している。
そういうことであるので、私たちは現実の中を生きている、といえます。
①どの時間どの場所であっても、その時そこには唯一の現実がある。
②その時間その場所にいればだれもがそこにある現実を同じものとして感じ取る。
③だれもがそのこと(①と②)は知っている。
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現実というものは、だれでもが、このように私と同じ時間、同じ所にいて同じ経験をしていれば同じ現実を感じ取っているはずです。いや、現実に現実はいまここにあるわけだから、それは当然だれもが感じ取るはずですね。
窓を開けて雨の音を聞く。外出を取りやめる。電話で雨が降っていることを話し合う。こういう行動をとることで、私たちは大雨が降っているという現実を感じ取ります。
この雨に降られている人はだれでも、私と同じようにこの雨を感じ取っているはずです。それは間違いないでしょう。だから私は、大雨という現実を感じ取っている、と考えられます。まあこれは、わざわざ考えて分かることではなく、無意識に分かってしまっている、ということです。
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そこへ電話がかかってくる。九州にいる人です。最近の携帯電話は地球のどこからでも簡単にかかる。「こっちはひどい雨ですよ」「へえ、こっちは青空です」それはそうでしょう、半径五百キロくらいの台風ですからそれ以上遠くには全く影響しない。
しかし、東京の人との電話なら「ひどい降りですな、これは」と言い合うはずです。「これは」というのは、話し手と聞き手が、同じ大雨を同時に体験しているという意味ですね。だれでもこの大雨に降られていれば同じこの現実を感じているはずでしょう。
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