リンゴが破壊されても植物細胞は残る。細胞が破壊されてもDNA分子は残る。分子が破壊されても原子は残る。原子が破壊されても素粒子は残る。素粒子が消滅してもエネルギーは保存される。しかしリンゴはもうない、というべきでしょう(二〇〇五年 クロフォード・エルダー『本当の自然とよくある物体たち』既出) 。
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リンゴが破壊されても植物細胞は残る。細胞が破壊されてもDNA分子は残る。分子が破壊されても原子は残る。原子が破壊されても素粒子は残る。素粒子が消滅してもエネルギーは保存される。しかしリンゴはもうない、というべきでしょう(二〇〇五年 クロフォード・エルダー『本当の自然とよくある物体たち』既出) 。
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こうして、物事は存在しなくなる。物事が存在しなくなる場合はいつもこうです。逆に言えば、存在しなくなるということはこのようなことを言っている。
破壊されると存在しなくなる。死ぬと存在しなくなる。破壊、死、なくなること。たとえば死ぬことを亡くなる、という。このように言葉を言い換えることができる、といえます。
そうであるとすれば、世界がなくなるということは、世界が破壊されること、世界が世界でなくなること、と言い換えることができるはずです。実際、直感でこの感じは分かりますね。
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今私にはゴミは見えるけれどもリンゴは見えない。リンゴは粉砕され、ほかの物質と混じって分からなくなった。こうしてリンゴはなくなった。リンゴがリンゴでなくなりました。存在しなくなりました。
私が死んでしまうと私はいなくなる。私の身体が骸骨になってしまう。その骸骨もいずれ塵になってしまう。私の身体であった物質は塵や灰になってしまう。私は私ではなくなる。私がいなくなってしまう。私は存在しなくなる。災害で町は破壊されてなくなってしまった。町だった場所が一面瓦礫の山に覆われてしまった。町が町でなくなってしまった。町は存在しなくなった。数十億年後には太陽は燃え尽きて膨張し地球も巻き込まれる。地球は地球でなくなる。地上の世界は消えてしまう。
ふつうゴミは一目見てそれがゴミだと分かる。ゴミ置き場にそれらしく置いてあるからです。そして見るからに役に立ちそうにない。
役に立たないものはゴミである。ゴミというのは、それが存在することを人間が必要としないもののことである。そうであるから、ふつうゴミは存在していないことが多い。自分の受け持ち空間を清潔に維持しなければならない場合だけ、そこにゴミは存在している。きたないのがいやなところにだけゴミは存在している。ゴミが存在していると私が思わないとそこがどの程度清潔でないのか分らなくなってしまって困るから、そういう場面でゴミは存在している。
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まさにゴミですね。生ゴミかな?いやプラスチックも入っている。金属も入っている。分別しないゴミですから、清掃局に叱られてしまいます。
さて、私はこの混合物の作り方を見ていなかった。私は目の前にある不規則な形をしたぐちゃぐちゃのかたまりを見ています。たしかにリンゴが粉砕されてこの混合物の中身に含まれています。しかし私にとって、ここにリンゴは存在していない。なぜならば、リンゴの匂いはほとんどしないし、おいしそうなリンゴの片鱗もないし、食べられるものはまったくないし、目で見ても何があるのかさっぱり見分けがつかない。
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