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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

殺人インパルス

2011年02月08日 | xx4世界の構造と起源

科学が描く世界像によれば、物質現象を表現する微視的な(正確にいえば量子的確率分布の)状態は隣接直近過去の状態(物理学では境界条件という)によって必然的に決まることになります。そのような物質変化が連鎖し蓄積することですべての物事は推移していく。私たちの目に見える日常的な現象について例をあげれば、カエルの子は必ずカエルになる、つまりDNA分子が物理化学的法則にしたがって生物体を組織するから生物ができあがるのだ、という現代生物学の原理がその典型です。別の例をあげれば、犯人の頭蓋骨の内部にある一群の脳神経細胞に電位変化が起こったから指収縮筋の運動神経が活性化した結果、ピストルの引き金が引かれて殺人が起こったのだ、という見方を導く考え方です。その神経細胞の電位変化はその数ミリ秒前の周辺の連結神経細胞の電位変化を原因とする結果であり、そのまた原因はそのまた数ミリ秒前の神経細胞ネットワークの連結状態からの必然的な結果である、等々となる。犯人の犯意などいうものが表現される必要はない、となります(拙稿10章「欲望はなぜあるのか?」)。

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現代科学は典型的な因果論

2011年02月07日 | xx4世界の構造と起源

Gustav_klimt_014 因果論は、世界の中である変化が起こるのはその前の状態に原因があって、その状態から決まった法則に従って結果が起こるからその変化が起こる、という考え方です。世界には物事の推移を決める法則がまずあって、その法則に従って原因が結果を決めている。すべてはその法則と初期の状態だけで決まってくる、という理論です。

現代科学は典型的な因果論として作られています。現代物理学では、宇宙全体の時空間の上に定義される状態量伝搬方程式(時空間関数方程式)の展開によってすべての物事が推移するとする場の理論によって世界を描写しています。

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西欧哲学の岐路

2011年02月06日 | xx4世界の構造と起源

ちなみに意図を持つ主体が目的を追求して行動することで世界の物事が推移するという世界観は目的論と呼ばれ、アリストテレスから近代哲学に至る西欧哲学の系譜のひとつになっています(BC三三〇年頃 アリストテレス形而上学』既出、一七八一年 イマニュエル・カント純粋理性批判』既出)。私たちが人間や動物の動き(あるいは心理現象や社会現象)を見るときは、ふつうこういう見方をしています。

これに対して因果論と呼ばれる、物事はすべて原因から結果が引き起こされることが連鎖して推移していくのみであってどこにも目的を追求する主体などはない、という考え方も、古くから東洋にも西洋にもあります。西洋哲学ではこちらもアリストテレスから始まって近代哲学(一七三九年 デイヴィッド・ヒューム人性論既出)において発展し、現代科学の根底を支える思想になっています(自然主義という)。

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拝読ブログ:ヒューム『人性論』

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形而上学最大問題

2011年02月05日 | xx4世界の構造と起源
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つまり、ニュートンによれば、リンゴは地面に落ちるという目的を持って地面に向かっているのではなくて、何か(この場合は地球重力)を原因として加速された結果(因果関係により)そのように動いているだけであって目的など持たない、ということです。この考えにもとづいて作られてきた科学は大成功しました。

一方、私たちの日常言語(自然言語)は(拙稿の見解では)、意図を持つ主体の行動を予測しその意図を描写する、という図式のもとに構成されている記述システムですから、科学の記述システムと日常言語のそれとの間には乖離が起こる。その乖離が現代に至り、(拙稿の見解では)先に述べた世界のチキン―エッグ問題(あるいはデカルトスピノザ問題、あるいは心身二元論問題、あるいは心脳問題クオリア問題あるいは現象学、あるいはハードプロブレムと呼ばれる形而上学の問題)を深刻化しています。

拝読ブログ:心と二元論的思考の害

拝読ブログ:rubbish talk_13. (クオリアとパラメータ)

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主体論vs.因果論

2011年02月04日 | xx4世界の構造と起源

私たちは、たとえばライオンがシマウマの後ろから走っていくのを目撃すると、ライオンはシマウマを捕食するだろうと予測して、その捕食がライオンの走行の目的だ、ライオンはシマウマの捕食という意図を持って走行しているのだ、という図式を構成する(拙稿21章「私はなぜ自分の気持ちが分かるのか?」)。私たちは、リンゴが枝から離れて地面に落ちるのを見ると、「あ、リンゴは地面に向かうという目的を持って地面に向かって動いているな」と一瞬思います(拙稿18章「私はなぜ言葉が分かるのか?【11】」)。

ところが現代科学は、アイザック・ニュートン(一六八七年 アイザック・ニュートン自然哲学の数学的原理』既出)に始まる因果関係を基礎とする力学、さらにジェームス・マックスウェルに始まる場の理論など、(偏微分方程式やテンソル方程式などの)時空間関数方程式を使って状態量の伝搬を表現することに成功し、これにより物質世界を記述することで主体―意図的運動という認知図式から抜け出しました(拙稿第14章「それでも科学は存在するのか?」)。

拝読ブログ:ジジェクによるデカルト/カント/ヘーゲル的主体、あるいは<絶対知><他者>の欠如

拝読ブログ:滅茶苦茶な解釈の因果律である

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