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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

私が存在する仕組み

2011年02月13日 | xx4世界の構造と起源

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いずれにせよ、人間は意志を持って自分の身体を動かしている、という目的論的な思い込みは、霊長類共通の認知機構を基礎とする人類の生得的機構であるようで(一九五七年 エリザベス・アンスコム『意図』既出、一九八七年  ダニエル・デネット意図的観点』既出)、拙稿の見解では、これが言語の基礎になっている(拙稿18章「私はなぜ言葉が分かるのか」)。また同時にこの機構が(次に述べるように)私という存在の基盤にもなっていると思われます。

目的論・意図的行動により世界を描写する理論(反自然主義)を採用するならば(実際私たちは日常この理論を使って会話していますが)、私の身体が動いているのは当然それをだれかが意図を持って動かしているはずだ、ということになります(拙稿21章「私はなぜ自分の気持ちが分かるのか?」)。そのだれかは私と呼ばれるものだ、と私たちは思います。実際、私たちの言葉がそうなっているからです。こう思うことによって、私が存在すると感じられることになります(拙稿12章「私はなぜあるのか?」)。

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因果論の起源

2011年02月12日 | xx4世界の構造と起源

しかしながらこの思想(因果論・自然主義)は歴史的に古いといっても(拙稿の見解では)たかだか一万数千年くらいの(農耕牧畜から始まる)人類文明の歴史の中で本格化した考え方でしかないと思われます。言語の発生は(拙稿の見解では)少なくともその十数万年も前に起こっています。したがって、人類の認知する世界像は、もともと目的論・意図的行動による世界の描写(反自然主義)が土台になっていて、後から因果論あるいは場の理論による世界の描写(自然主義)が、自然の物質現象を観察する実務家(ハンター・航海者・農業手工業生産者・軍人・医者など)あるいは理論家(哲学者・宗教家・天文学者・科学者)によって普及されたのではないか、と(拙稿の見解では)推測できます。

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インド哲学から現代科学

2011年02月11日 | xx4世界の構造と起源

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人類の言語が意図を持つ主体の行動を仲間と一緒に集団的に予測するという(反自然主義的な)図式のもとに構成されている表現システムであるとする拙稿の見解(拙稿18章「私はなぜ言葉が分かるのか」)が正しいとするならば、言語を使って物事を記述する限り、私たちは目的論・意図的行動により世界を描写する理論(反自然主義)の枠内でしか物事を考えられないはずです。

一方、人間や社会の動きを含めて世のすべては自然の法則で移ろい行くだけであって、目的などどこにもない、というような因果論あるいは場の理論による世界の描写(自然主義)は、仏教やインド哲学などにみられるように歴史的に古くから無名の賢者たちによって唱えられてきたようです。この思想が現代科学の真髄になっていることはおもしろい現象でもあります。

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拝読ブログ:人間は機械か?

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現象の目的論

2011年02月10日 | xx4世界の構造と起源

私たちの脳神経系に、他の動物の意図的行動を予測する機構が生まれつき備わっているとすれば、目的論あるいは意図的行動を読み取ることによる世界の捉え方(反自然主義)はそこから来ていると考えてよいでしょう。どうも私たちは直感を使う限り、単純な物事の動きは因果関係から予測する一方、(動物でないものも含めて)複雑な物事の動きは目的を持つ主体が意図的に動いて引き起こされている、と見たくなるようです。私たちは、雨乞いをしたり、転がるゴルフボールに向かって「入れ」と命令してみたり、株価チャートに向かって「そろそろ上がれよ」とか、つぶやきます。

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拝読ブログ:上れ!上れ!と祈る日々

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二種類の世界認知機構

2011年02月09日 | xx4世界の構造と起源

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因果論場の理論による世界の描写(自然主義ともいう)が正しいのか それとも目的論・意図的行動表現による世界の描写(反自然主義ともいう)が正しいのか? どちらでしょうか?

私たちの直感では、どちらもそれなりに正しいと思えるところがある。直感がそうなっているということは、人類が、互いに矛盾するこの二種類の世界認知機構を生得的に備えているということでしょう。実際、現代の認知心理学では、人間の幼児は機械的存在として非生物の概念を作り、目的論的存在として生物の概念を作り、その中間的なものとして人工物の概念を作るような生まれつきの認知機構を備えている、という実験にもとづく理論があります(一九九二年 フランク・ケイル『概念、種類と認知発達』)。

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