私という概念がないと日記が書けませんね。日記も書けないような状況では、生活を反省することもできず、記録もできず、学習もできません。明日からの計画も立てにくいでしょう。現実世界の内部を動いているこの身体の動きを私という主体が意図的にこの身体を動かしているのだ、と感じとることで、それを記憶し、評価し、学習することができます。
私という主体が自分の身体の内部に存在していてそれがこの身体を動かしているのだ、という感じ方は物心ついたときから、無意識のうちに、ごく自然に私たちの身についています。むしろ自分の身体が動いていることに関してこれ以外の感じ方は考えられませんね。しかし自分の身体が動くときにこう思っているのは、大人の人間だけです。言葉を話せない赤ちゃんや猫や犬は、こう思っていません。赤ちゃんや猫や犬は何も思わないうちに身体が動いていきます。
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