ここにも、チキン―エッグ問題が現れてきます。世界の存在が先か、観測が先か? 世界が存在するからそれが観測されるのか?それとも、観測されるから世界は存在するといえるのか? このような質問には(拙稿の見解では)答えがない。近代哲学には、存在の問題は認識の問題と不可分であるとする考え方があります(一七八七年 イマニュエル・カント『純粋理性批判』第二版 既出)。私たちが仲間と一緒にそれを感じとるということと、それが存在するということは(拙稿の見解では)同じことです。同じ意味を表しているといえます。
拝読ブログ:存在論と認識論
拝読ブログ:知識って何よ――戸田山和久『知識の哲学