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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

世界を感じる身体

2010年12月21日 | xx4世界の構造と起源

Tizianodanae3 世界が存在しているということ、あるいは私が存在しているということ、それぞれ、人と人とが協力し合ういろいろな場面で皆がそう思っていることが社会生活のために実用的です。そういう実用的な認知機能が人間の身体に発現し、それが概念を作り言葉として定着し、私たちは私たちが共有するそれら認知対象を現実の存在として感じとれる身体になっている。

仲間との協力をさらにスムーズに進めるように、私たちは、世界とか私とか、あるいはその他の概念を強烈な現実感をもって身体の奥底で感じとれるようになっている。そういう身体の機構を人類は共有しています。自分たちがそういう身体になっていることに、私たちははっきり気づいていない。けれども、私たちのそのような身体の作られ方が、私たちにこのような客観的な世界の構造を感じとらせているといえます。

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世界というものは

2010年12月20日 | xx4世界の構造と起源

世界というものは(拙稿の見解では)、それが現実にここにこう存在することによって私たち人間が協力して生活することができるようなものとしてある。逆に言えば、そのように作られているものが、私たちの感じとれる世界である、といえます。また、私というものも、人と語り合う時に、私というものがこの身体であるとすれば、話が通じて協力がうまくいくようなものとしてある。

そうであるからして、私は世界がこうあると思い込んでいるのだし、私というものがここにこうあると私が思い込んでいるのはなぜか、納得がいく。

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超ハードな問題

2010年12月19日 | xx4世界の構造と起源

Tizianodanae2_2 拙稿の見解では、こういう超ハードな問題というのは、まず問題の立て方が間違っている。むずかしいと思うからむずかしい。むずかしいと思えば思うほど、解決から遠のいていきます。ですから、まずむずかしいと思うことをやめるのがよろしい。

拙稿の見解を述べます。世界が存在しているといい、私が存在しているといい、どちらもそれが存在しているとすることによって、私たち人間が互いにうまく語り合い、仲良くなり、協力できればよいのであって、哲学的矛盾などは重要なことではない。

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ハードコア問題

2010年12月18日 | xx4世界の構造と起源

これが世界のチキン―エッグ問題、あるいはデカルトスピノザ問題、あるいは心身二元論問題、あるいは心脳問題クオリア問題あるいは現象学、あるいはハードプロブレムと呼ばれる形而上学の問題です。

これは哲学として非常にハードなコアな問題とされています。いつまでたっても解けない。二千年以上の哲学の歴史にわたって偉大な哲学者たちが悩み続けた問題ということになっています。人知の及ぶところではない神秘の問題という気もしてきます。なぜむずかしいのか? 私という自我の謎がむずかしいのか? 意識の問題がむずかしいのか? この世における人間という存在が不可思議なのか? なぜ解けないのでしょうか?

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世界と私は無関係?

2010年12月17日 | xx4世界の構造と起源

Tizianodanae1 世界は、世界がこう存在して、そこに私の身体がこう存在していて、その身体が世界をこう感じとっている、かのように感じとれる。それは世界がこう存在しているからだ、と単純に思えます。しかしそれだけでは、世界が存在することは理解できますが、それを感じとっている私の存在が必要であることが理解できない。世界が、私が世界をどう感じとるかに関係なく存在しているならば、私がどう感じるかは世界とは全く関係がないはずです。世界の存在と私の存在とは、互いに関係がない別の話になってしまいます(拙稿23章「人類最大の謎」)。

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