世界が存在しているということ、あるいは私が存在しているということ、それぞれ、人と人とが協力し合ういろいろな場面で皆がそう思っていることが社会生活のために実用的です。そういう実用的な認知機能が人間の身体に発現し、それが概念を作り言葉として定着し、私たちは私たちが共有するそれら認知対象を現実の存在として感じとれる身体になっている。
仲間との協力をさらにスムーズに進めるように、私たちは、世界とか私とか、あるいはその他の概念を強烈な現実感をもって身体の奥底で感じとれるようになっている。そういう身体の機構を人類は共有しています。自分たちがそういう身体になっていることに、私たちははっきり気づいていない。けれども、私たちのそのような身体の作られ方が、私たちにこのような客観的な世界の構造を感じとらせているといえます。
拝読ブログ:受験を目前にした息子とオヤジのやり取り
拝読ブログ:ネット評判社会