まあ、筆者個人としては、いま鼻風邪を引いているのかあるいは花粉症なのか、いずれにしろくしゃみが止まらないとか、あるいは寝間着のままで昼までこうしていては妻の機嫌を損ねてまずいだとか、目の前の問題のほうが重要だと思えますので、なかなか人類の一人としてこの世で最大の謎を考える気にはならない。しかしまったく考えないということでもありません。忙しい現代人の中では、どちらかといえば考えるほうといえるでしょう。
こういうことを考えるほうがえらいと言う人がいますが、そうではないでしょう。逆に考えないほうがえらいと言う人もいますが、これも違うでしょう。しかしながらいずれにせよ、どちらがどうえらいかという話題については、拙稿の興味からは、実は重要な問題であると思われるので、この章の中でゆっくり考えてみようと思います。
さて、なぜ人間は哲学をするのか、などという話をこうして書き連ねている筆者としては、人間がこういうとほうもなく大きな、大きすぎる謎を不思議だと感じるという事実に興味がある。この謎は、実に大きいけれども実生活には役に立ちそうもない。しかし大きいといえば実に大きい。大きいというだけで面白いとはいえる。哲学の大問題とも言われている。しかし大きすぎると思われているために、現代ではこれを職業的に扱っている哲学者はあまりいない。かえってアマチュアが興味を持つ話題になっているようです。
世界とは何か?自我とは何か?存在とは何か? もしこれが人類最大の謎であるとするならば、もちろん、簡単に解けるはずがない。図書館に行けば、ギリシャ哲学から現代哲学まで古今の哲学書、思想書が山のように積まれている。たとえば、伝統的哲学では、このような問題は形而上学に分類されている。
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