なぜ人間は他の動物と違って、客観的な世界の中に客観的に自分の姿を見てとるのか? それは(拙稿の見解では)、私たちが、仲間の目で見て世界はどう見えるか、仲間から自分がどう見えるか、客観的に自分は何をしているように見えるのか、常にそれを予測しその予測に対応して行動を形成するような身体になっているからです。それは、拙稿の見解によれば、人類が、仲間の人間と協力してきわめて緻密な社会集団を作ることにより効率よく食料を獲得し脳の大きな手間のかかる子を確実に出産養育して繁殖することに成功した動物だからです(拙稿22章「 私にはなぜ私の人生があるのか」)。
人間が世界を見てとる身体的な仕組みがそうしてできあがったとすれば、この世界の物事が私たちにとって分かりやすく、記憶したり予測したり言葉で語り合ったするのにとても便利に仕分けられているわけが納得できます。この世はなぜこうであるのか? 世界の分節化はいかになされているのか? 存在するものたちはなぜこのように存在しているのか? それは(拙稿の見解によれば)こういう理由なのでしょう。
なぜこんな話をするかというと、この話に、本章のテーマを展開するための大事なヒントが隠されているからです。どうも(拙稿の憶測では)、私たちの身体のここらへんの仕組みに、人類最大の謎を解くカギがありそうです。
拝読ブログ:やっぱ、歩み寄らなくっちゃね。
拝読ブログ:一日でも早い梅雨明けを願う