世界は私だけに特別の配慮をしてくれてもよさそうではないか? 超越的な神秘の存在が現実に働きかけて、私の願いを聞いてくれないだろうか? 私たちが無意識のうちに抱えている、正当な理由のないこのような気分が、現代でも人生を動かしているし、ひいては世界経済を動かしている、もしかしたらこれは、人間にとって、しばしば意思決定のよりどころであるのかもしれない、と思えます。
一方、冷静に身のまわりを見渡せば、私が何者であるかそして私が何を願っているか、ということとは何の関係もなさそうに、目の前にある世界はまさに客観的現実として動いている、ように見える。ここにあるこの現実世界は、だれが感じとるかにかかわりなく、同じ現実世界であるはずです。この現実世界の中にある私のこの身体も、他のどの人体とも同じように客観的にここにある。そうであるとすれば、この現実世界をいくら詳しく調べても、私とはこの世界にとって特別な何かだ、という結論は得られない。この私の身体の中にだけ何か神秘的なものがいるという客観的証拠は見つからない。物質であるこの身体が何か神秘的な超越的なものにつながっているという理屈はありえない、と思えます。
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