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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

自殺者は何を予測しているのか?

2010年02月19日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

そうして、人間の場合も、ある者がある行為をするとき、その行為の結果を予測してその行為をするのではないとすれば、私たちは、その人の気持ちが想像できない。たとえば、自殺行為をする人が何を予測してそれをするのかまったく分からない場合、私たちはその気持ちが理解できない。

最後に、その人間が自分の場合も、自分がなんらかの行為をするとき、その行為の結果を予測してその行為をするのではないとすれば、どうなるでしょうか? 私たちは、自分自身の気持ちというものが想像できない。つまり、自分で自分の気持ちが分からない。そういうことになります。

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人間はライオンの身体を持たない

2010年02月18日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

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台風が九州地方を襲うとき、私たちは、台風が九州に被害を与えることを目的にして接近しているかのように感じとる。だから、「襲う」という言葉を使う。しかし、台風は自然現象ですから、何かを襲いたいと思っているはずはありません。つまり台風はその行為の結果を予測してその行為をするわけではありません。私たちも、もちろん、これは比喩だと思っている。台風は目的を持っていない。そうだから台風の気持ちというものは、私たちには、想像できない。

ケニヤのライオンがシマウマを襲うとき、私たちは、ライオンがシマウマにかわいそうなことをしようとして跳びかかる、と感じとる。しかし実際、ライオンはその行為の結果を予測してその行為をするわけではない。逃げるシマウマを見ると自然に跳びかかるような身体になっているだけでしょう。私たち人間はそういう身体にはなっていない。だから私たちは、実は、シマウマを襲うときのライオンの気持ちが想像できない。

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自分の気持ち=身体運動*体性感覚

2010年02月17日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

私たちが自分の気持ちだと思っているものは、もともとは(拙稿の見解では)仲間の視点から見た私の身体運動を芯にして、身体運動に反応して起こる自律神経反応などに対応する体性感覚を貼り付けることで作られている(一九九四年 アントニオ・ダマジオデカルトの誤謬:感情、理性、および脳、二〇〇三年 アントニオ・ダマジオスピノザを探して:喜び、悲しみと感じる脳』)。たとえ一人でいるときでも、私の身体の(表情や声の調子など)動きを見ている仲間がいるとしたらその人たちが感じとるはずの私の気持ちというものを推測することが、私が感じとる私の気持ちというものを作っている。

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意識的意図=無意識の反射

2010年02月16日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

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つまり私たちは、いつも、自分が生きるこの社会の中で自分がどうすればどうなるかを考えている。ここでいう「考えている」とは、行為の結果を予測して、その行為をする自分とその結果の状況変化を予測している、ということです。そして、その状況予測に反応し自分の身体が引き起こす自律神経反応からの体性感覚(不安や期待などの感情)を自分の気持ちだ、と感じとっています。そして同時に、状況変化の予測に反応して身体が反射的に仮想運動を起こしていくのを感じとって、それを自分の意識的意図や意志による目的行動だ、と思っている。しかしそれらの反応は、人類の進化適応によって私たちの身体に埋め込まれている無意識の反射でしかない。

自身のそれら一連の身体の動きを感じとって(拙稿の見解では)私たちは、自分は自分の気持ちにしたがって行動しているのだ、と思う。それが自分の気持ちだと思って生きています。

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社会と目的認知の共進化

2010年02月15日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

人間社会の中で共有され反射生成を繰り返す目的概念は、言語と同じように、無限に抽象化し、複雑化する。複雑な目的概念を認知できる人間たちの社会は複雑になっていく。逆に、複雑な社会に生きなければならない人間たちは、複雑な目的概念を扱えなければ生きていけない。

人は、人を見ると、その人が何のために動いているのか分かろうとする。何かのために動いているに違いないと思う。それが人でない物事でも、あるいは抽象概念でも、それが動くのは何かのために動いているに違いない、と感じる。台風でも、日本経済でも、それは何かのために動いている、と感じる。

人間は、無意識のうちに自動的に、物事をそう感じるような身体になっている。人間の脳神経系に、たぶん生得的に備わっているこの機構を(拙稿の用語では)目的認知機構といいます。この脳神経機構は人類社会を構成する基本的な要素になっています。人類の社会と目的認知機構は、共進化によって効率を増すと同時に、抽象化し、複雑さを増していった、と(拙稿の見解では)考えられます。

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