哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

私とはこの身体だ

2010年02月24日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

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もしそうであれば、実際、私たち人間は、だれも自分の気持ちなどというものは持っていないことになる。私たちの行動は、台風などと同じような、ふつうの自然現象だ、あるいは進化によって自然にできあがった機械的な環境適応行動だ、ということになります。

私たちは、目や耳や皮膚で台風の存在を感じる。台風に吹き飛ばされそうになって踏ん張るときの筋肉の緊張としても感じる。もちろん、テレビの情報からも、人との会話からも台風の存在感を感じる。そうして無意識のうちに感じる存在感を台風だと思っている。

それと同じように、私たちは、目や耳や体性感覚で感じ取った情報から無意識のうちに自分の身体という自然現象の存在感を感じとっている。そうであれば、台風の中に台風の気持ちなどというものがある必要がないのと同じように、私の身体の中に私の気持ちというものがある必要はない、といえる。私というものはこの物質である身体だけだ(一八八三年 フリードリヒ・ニーチェツァラトゥストラはかく語りき』既出)ということになります。

拝読ブログ:超訳 ニーチェの言葉

拝読ブログ:第468信・冬の間の運動不足

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分子機械が作る錯覚

2010年02月23日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

人間も動物ですから、自然の法則に従って進化して、このような身体になったのでしょう。現象としては、モーターと歯車でできているロボットと何も違いませんね。もう少し正確に言えば、たんぱく質と核酸の組み合わせで動く分子機械です。そういう物質である身体から成り立っている人間の私が、このように、私の気持ちを持っているということは、どういうことか?

私は、なぜ自分の気持ちというものがあると思うのか?

それは私が、人間というものは皆、それぞれの気持ちというものを持っている、と思いこんでしまっているからではないのか? まわりの仲間たちが、私のそれが私の身体の中にあると思っていることが間違いないように思えるから、私はそう思っているだけなのではないか? 私が私の気持ちと思っているものは、そうして作られる錯覚なのではないだろうか? と考えることもできる(二〇一〇年 マーク・エンゲルバート、ピーター・カルーサーズ『内観』)。

拝読ブログ:ロッククライミングロボ

拝読ブログ:『ロボットは涙を流すか』

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進化によって出現したロボット

2010年02月22日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

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つまり結局、動物は、電池とモーターと歯車でできている機械のように動く。実際、ロボット製作に莫大なお金をかけて、細かいモーターと歯車を数百台、数千台と使って上手に設計すれば、動物のように滑らかに動かすことができる。コンピューターを搭載すれば、感情を持つかのように動かすこともできる。評価プログラムを埋め込んでやれば、目的を持つかのような行動を取らせることもできる。ロボット集団に(DNA転写変異の代わりにニューラルネットのウエイトに乱数を掛けるなどで )ゲノムの突然変異と集団に働く自然淘汰圧によって進化するように設定すれば、模擬的に進化して動物のように目的を持つかのような行動を身につける(二〇一〇年 ダリオ・フロレアノ、ローレント・ケラー『ダーウィン型淘汰によるロボットの適応行動の進化』)。

生物はすべて、進化現象によって、自然界の中に出現したロボットである、といえる。

拝読ブログ: 進化したロボットたち

拝読ブログ:サロゲート

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機械的に感情が起こる

2010年02月21日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

もしかしたら、私たちの身体は、台風のように自然法則だけにしたがって動くものなのかもしれない。台風のように太平洋を北上し、九州地方を襲う。しかし、台風には、それをしたいという気持ちなどない。台風は九州地方を脅かすかのように接近してくる。しかし、だからといって、台風が九州地方を脅かそうという気持ちを持っているわけではありません。九州に住んでいる人々に害を与えたいと思ってそちらへ接近するわけではありません。重力と熱力学の法則にしたがって空気のかたまりが動いているだけです。

動物の身体もまた、台風と同じように自然法則だけにしたがって動く。進化によって状況に適応した行動を自動的に起こす。進化によって、それは動物の利益が大きくなるような行動になっている。そのために利益を目的として動いているように見える。しかしそれは自然法則だけにしたがって、機械的に自律神経が変化し、機械的に感情が起こり、結局は機械的に動いているだけ、ともいえます。

拝読ブログ:自然にある法則と精神にある法則

拝読ブログ:人工知能

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意味がないもの

2010年02月20日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

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その行為の結果を予測してその行為をする場合は、はじめからそれをする自分の気持ちは分かっている。けれどもその行為の結果を予測してその行為をするのではない場合は、自分の気持ちが分からない。つまりそれは、私たちが自分は何をしようとしているのか、自分の気持ちが分からないまま行動するということです。たまたま、注意を向けた行為の結果だけを予測するけれども、注意しないでしてしまう行為のほうが圧倒的に多い。呼吸のように、ですね(拙稿20章「私はなぜ息をするのか?」)。

もしそれが本当だとすれば、私たち人間というものは、自分の気持ちにしたがって行為するものではないのかもしれない。そもそも私たちが自分の気持ちだと思っているこの自分の気持ちなどというものは意味がはっきりしない、意味がないものなのかもしれない、ということになる。

拝読ブログ:遺伝子差別が現実のものになってきた

拝読ブログ:内田樹『私家版・ユダヤ文化論』文春新書

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