goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

目的概念の社会的な意味合い

2010年01月12日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

このことは、逆に言えば、人間の身体が生まれつき物事の変化をそう感じとるようにできているからだと(拙稿の見解では)思われます。奪ったり奪われたり、害を与えたり、利益を受けたり、物事のとらえ方として、(主体概念とその目的との関係の)そういう感覚を、身体で感じとるような仕組みが、人間に限らず、多くの群棲哺乳動物にはあると思われます。

社会集団を作る群棲動物の進化の過程で、そのような仕組みの身体を持つことが有利に働いたのでしょう。その身体の仕組みからきて、私たち人間では、目的概念が社会的な意味合いを多く持つようになったと(拙稿の見解では)考えられます。

拝読ブログ:象徴的な食べ物

拝読ブログ:他人のためにではなく自分のために生きてみる

コメント

共感→言語の意味

2010年01月11日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

Gerome_tigressandhercubs

「殺して食べるためだ」というような、もし人間が人間に対して行ったとすればとても衝撃的な行為を、この二匹の動物がしていると見なすわけです。たしかにライオンのこの行為は人間が見て衝撃的な行為であるべきです。それでこそ、私たちだれもが関心をもつことになる。そうであれば、話し手がわざわざ話す価値があることになるし、聞き手もわざわざ聞く価値があることになる。この場合、「襲う」という言葉が表している行為が、話し手と聞き手が共通に興味を持つ行為であるからこそ、会話の話題になっている、ということです。

そもそも言語による会話は、話し手と聞き手が共感できること以外に意味を成り立たせることはできません。ケニヤの草原でライオンがシマウマを追っている場面を目撃した話し手が聞き手に何かを言うとしたら、話し手は無意識のうちに、二人が共感できる話題を話すでしょう。その話題は、人間どうしが共通に関心を持つこと、たとえば、奪ったり奪われたりすることなど、つまり、ふつうは社会的な(あるいは経済的な、あるいは人間関係に関する)ことです。私たち人間が、そういう社会的経済的なことや人間関係に関することに強く共通に関心を持つからです。

拝読ブログ:どこに感銘を受けたんだろう

拝読ブログ:鳥の囀りと人間の喋り

コメント

殺して食べるためだ

2010年01月10日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

ライオンがシマウマを襲う目的を聞いてくる質問に対して「シマウマの背中に飛び乗るためだ」という答えは適切な答えだとは言えない。なぜならば、私たちがふつう使う言葉遣いでは、「襲う」という行為は、相手の大事なものを奪うという目的を持つという社会的な意味合いを含んでいる。その意味合いに沿って、相手の何を奪おうとしているのかに答えなければ適切な答えとは言えませんね。だから、襲う目的を問われた場合、「シマウマの背中に飛び乗るためだ」というような物理的身体的な動きを述べるだけでは、答えになっていない。

「ライオンはなぜシマウマを襲うのか?」という質問は、もともとからして、「殺して食べるためだ」というような答えを暗黙のうちに期待している質問です。その期待に沿って会話は進んでいくことになっている。

拝読ブログ:進化について考えた_3

拝読ブログ:感情について 言語ゲーム的観点から(8) (言語)ゲームとしての感覚・感情(3)

コメント

A君がB子を殺して食べる

2010年01月09日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

Gerome_thirst

私たち人間が目的というときは、ふつう動物が使っていると思われるような直接の身体的な運動目的イメージのことではない。むしろ、社会的な意味合いのある行動の結果を言っている。それは、人間にとって関心が深い、重要だと思えるような社会的状況の変化を予測させる結果です。人間関係の利益につながるような社会的な意味のある変化をもたらすであろう結果です。たとえば、個人的な、経済的な利益、あるいは政治的な利益につながるような変化を予測させる行動の結果をいう。

それは観察者に対して「ライオンはなぜシマウマを襲うのか?」という質問を発してみれば分かる。

ふつうの答えは「シマウマを殺して食べるためだ」とか「餌食にして食欲を満たすためだ」とか「シマウマの肉を消化して栄養を取るためだ」とかになるでしょう。ライオンとシマウマが二人の人間だったら、この話は、A君がB子を殺して食べるために襲う、という形になる。かなりスキャンダラスな人間関係を目的とした行為ですね。

拝読ブログ:格差の外にいる人たち格差の外にいる人たち

拝読ブログ:『捕鯨問題と文化論』

コメント

運動目的イメージ→目的

2010年01月08日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

たとえばケニヤの草原でライオンがシマウマを襲う場合、それが意識的行動であるための条件は、ライオンがその行動の結果何が起こるかを予測してすることです。ライオンは、シマウマを追いかけることによって、数秒後にはシマウマの背中に飛び乗ることを予測しているように思えますね。もしそうだとすれば、ライオンがシマウマを襲う目的は、シマウマの背中に飛び乗ることだ、といえる。

しかしここで注意しなければいけないことは、ライオンがシマウマの背中に飛び乗るという運動シミュレーションを使って運動目的イメージを持っているとしても、それはライオンを観察している人間が「ライオンがシマウマを襲う」という意味のことを日本語あるいはケニヤ語で言う場合に思っているライオンの行動の目的ではない、という点です。

拝読ブログ:シマウマ「トラさん愛してます」

拝読ブログ:【MH3】レディース頂上決戦!!

コメント